加藤元浩『C.M.B.』26巻 講談社

 『C.M.B.』というマンガの26巻目を読みました。この巻には「ゴンドラ」「ライオンランド」「兆し」が収録されています。

 「ゴンドラ」の冒頭を読んで何故か連想したのが『刑事コロンボ』。「ゴンドラ」冒頭がTVの料理番組で、そのホストがこの話数の犯人。ということでコロンボの「美食の報酬」を思い出したためだと思います。さらに、ゴンドラで山を登っていくシーンがあり、そこでは「死の方程式」を連想したりして。そういえば、「ゴンドラ」も犯人が分かっている倒叙型でした。

 この巻で一番印象的だったのは「ライオンランド」でした。

 ある事情のために悲しみを消してくれる薬を求める主人公一行。ただ、目的にたどり着くにはライオンが生息している地域を通り抜けなくてはいけない。非常に危険な道のりです。

 その道程で、ライオンに対して徒手空拳で向かおうとする場面があります。普通、槍や銃や武器を持っているからライオンのような猛獣に対峙できる、そう思っています。でも本当は武器を持っているから向かっていけるのではなくて、戦う気持ち、逃げない気持ちがあるからこそ対することができるのかもしれない。それなくしては、武器を持っていても初めから負けは決まっているのかもしれません。

 「ただし都合のいいモノだけが消えるかどうかは保証できない」

 心の場合はどうでしょう。悲しみは確かに辛いものです。でも、悲しみがあるから向き合えないのか、悲しみがなくても向き合えないのか。

 「確かに残されるのは辛いな わかるよ」

 悲しみは消えなくても、それを理解してくれる人がいると知ることが前へ進む助けとなるのかもしません。

 「兆し」は幼い頃に母親が言っていたお守りが凶事を教えてくれるかどうか、というのがテーマのお話。

 「失敗したとわかれば引き返せばよかった」

 失敗したと「わから」なくても、引き返させてくれるのもまた「兆し」の成せる業でしょうか。