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木皿泉『すいか』1 河出文庫

この本を読もうと思ったのは、『すいか』というドラマが好きなためです。この本はその脚本を書籍化したものでした。
『すいか』が放映されていた頃、毎週観ていました。当時大学生だった自分が何を思って何を感じて観ていたのかはっきりとは覚えていません。ただ、『すいか』を観ることで自分はこういったものが好きなのだと気づいたような気がします。嫌なもの、キライなものはなんとなく分かるけれど、好きなものを自覚する機会は少ないのかもしれません。
「三十四歳までに、しておかなければならない事、私、何ひとつやってこなかったような気がします」(p.113)
主人公は早川基子(34)。信金に勤めるOLです。同僚の馬場ちゃんがある日3億円を横領して失踪、それがきっかけ(になったわけでもないようなあるような)にして初めて実家を出てまかない付の下宿に住みはじめます。
「私らは、偉いよ。自分が、最低だって知ってるもん。これって、滅茶苦茶ラッキーだよ」(p.79)
基本的に1話完結でお話は進行していきます。というよりも全体を通じて展開するお話があるというわけではない。ハピネス三茶(下宿)に暮す人たちの日常とその受容が描かれたエッセイのようなものかもしれません。
「でも、私も逃げたい。親から、仕事から、こんな自分から、あらゆるものから、私も逃げたい」
「そりゃ、誰だってそうです。でもね、ここに居ながら逃げる方法が、きっとある。それを自分で考えなきゃダメです」(p.207)
このドラマは固定観念を引き合いにそれを反転してみせるパターンが多いのかな。
例えば、ハピネス三茶の住人、教授が友人を見舞った帰りに出店でヒヨコを買おうとしていた見知らぬ男と殴り合いのケンカをするシーンがあります。男は出店の主人にヒヨコが死なないのなら買う、死んでも補償してくれるのなら買う、と詰め寄ります。余命いくばくもない友人のもとを辞去してきた教授は命あるものは死んでしまう、それはどうしようもないことだと男に反対します。
あるいは基子が金額の多寡で物事を量ろうとする向きに嫌悪を表明するシーン。結局、自分自身がお金を基準に考えていることに気づき嫌悪の矛先も自分自身に向かうのですが。
お金が全てではない、という考えの方が「キレイ」な気がしてそっちの方が正しいと思っているのに、気がつけばいくらあれば何年生きられるのか、と計算している自分がいる。ドラマを観ていた頃から10数年たって、自分自身が当時そうじゃないだろ、と思ったであろう「そうじゃない」方の考え方をしている。
お金のことを今引き合いに出したのは、この『すいか』自体、最後で馬場ちゃんが3億円と引き換えにしたものの大きさを感じさせるようになっているからで、「そうじゃない」方の生き方を自分がしているとしても、無理やり「そう」の方へ行くためにもっと大切なものを捨ててはいけない。
「いいじゃないですか。だらしなくても、馬場チャンは、そういう方法が判らなかったんです。火山が爆発するみたいなやり方しか、わかんなかった。それって、悲しいじゃないですか」(p.207)
間違っていると分かっていても、それに抗えないだらしない自分を知っていても、ここに居ながら逃げる方法を考えるために『すいか』を繰り返し観てしまうのかもしれないな、と思いました。