渡辺一史『北の無人駅から』北海道新聞社

「最後に白状してしまえば、私は無人駅にも鉄道にも、じつは大して興味はなかったのだ。興味があるのは」(p.779)
無人駅、という言葉の響きにはどこかしら惹かれるものがあります。それは、「待つ」ということに通じているように感じられるからかもしれません。照明がぼうっと照らしている無人駅で汽車を待っているとき、あるいは無人駅に汽車が入っていくとき、駅そのものが何かを待っているように見えることがあります。
「風景とは、誰かが『発見』し、多くの人が『認知』するまで、それが『価値ある風景』だとは誰も気づかないものなのだ。」(p.432)
北浜駅という網走にある駅を出発点にして観光資源である流氷が昔はそうではなかったことへまで話は広がります。
「じつは、全国のコメ生産の約6割を担い、日本のコメのクオリティを支えているのは、『片手間農家』の作るコメだという現実がある。」(p.217)
新十津川駅からは農業の問題へと話は繋がっていきます。
「どんな土地にもそれぞれの欠点はある。しかし、たまたまそこで生まれ育ったから、縁があって住み始めたから、行きがかり上、仕事の関係で・・・・。人は、いろんなしがらみの連鎖によって、気づくとその土地に住んでいた、というのが実際のところなのかもしれない。」(pp.612-3)
『北の無人駅から』なんてタイトルなのに、書いてあるのは人間のことばかり、「いろんなしがらみの連鎖」が厚く厚く記述されています。
「『北海道』についての文章を書きながら、それもこれも『ウソ』ばかり書きつらねてきた」「誰もが安心するおなじみの『北海道』を発信しつづけてきた。」(p.774)
渡辺さんは自身の20年に渡るフリーライターとしての仕事をこう振り返っています。
この本を読んで私が思ったのは、北海道と言われてイメージするものはあるけれど、実際に行ったことはないし、自分が思っているものとは随分違うものかもしれない、少なくともイメージ通りだと確信をもって言えない、ということでした。観光で訪れてみれば違った印象を抱くかもしれないし、住んでみればまた違ったものを受け取るかもしれない。
少なくとも私個人に対しては、渡辺さんがこの本を書かれた意図は達せられていました。そして、それは渡辺さんが本当に興味があるものについてしっかりときちんと記述されていたためだと思います。
月並みですが、とてもいい本でした。