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鷲田清一『「待つ」ということ』角川選書

待つことには昔から
慣れきってた私だもの
後まわしでもかまわないけれど もうさよなら

辛島美登里『最後の手紙』)

何かを待っていて対象が現れなかったり、そもそも来るかどうかも分からないものを自分が待っているなと自覚するときに辛島美登里さんの歌を口ずさんでいることがあります。

「待つ」ということが気になっていたので題名にひかれてこの本を読んでみました。
「未来があるというのは、だから、希望をもてるということである。何かを待つことができるということである。」(p.22)
確かに何かを待っている時は、自分の先にまだ時間があるという前提に支えられているような感じがします。
「その希望が砕け散ったとき、それでも待つことを別のかたちで続けることができるのは、どうしてか。」(p.127)
以前、ある歌手が歌っている姿を見てまるで祈っているようだと感じたことがありました。その時、祈りというのは一体どういったものなのだろう、と素朴に思いました。祈っている姿は祈願を成就させるために物理的なアクションを起こしているわけではない。以前、夢は見るものではなくて叶えるものだから、という内容の歌詞を歌っていた人がいましたが、見ようによっては叶えるために何もせずに夢を見ているだけのようにも捉えられます。でも、祈りの姿から感じられるのは消極性や弱さではなく、逆に強さだったりする。
「『祈り』はあくまで〈待つ〉ことのひとつのかたちであって、『神さま』への要求なのではない。」(p.139)
叶えられるかどうか分からない、むしろ叶えられるかどうかを最初から考慮に入れていない希求。希望がないにも関わらず未来を望む、その逆説を体現しているように見えるから「祈り」に強さを感じるのかもしれないと思います。
「〈待つ〉ことになんの保証もないということが〈待つ〉を可能にしているということだ。」(p.178)