管啓次郎『本は読めないものだから心配するな 新装版』左右社

この本を読もうと思ったのは題名を見て気になったためです。
私の部屋には本がたくさんあります。その大半が未読です。それでも読みたい本が次から次へと増えていく。図書館からも借りて読むので持っている未読本の減るペースは上がりません。読みもしない本が増えていくことに若干の罪悪感も覚えます。そんな状況にこの本の題名は渡りに船、そう思って読みました。
「読んだ本の大部分が読まないのとまったく同じ結果になっているのは、ぼくもおなじだ」(p.7)
管さんは渡辺一夫さんを引用した後でこう述べています。本を読んだとしてもその内容を覚えていないのなら、読んでいないのと同じではないか。この箇所を読んだとき、私はまた佐藤信夫さんのことを思い出していました。
佐藤信夫さんのレトリックに関する本で次のようなことが書かれているものが確かありました。Aの否定の否定は論理的にAと同じだけれども、二重否定は不要ではない。AとAの二重否定が中身として同じでもレトリックとしては違う。
本を読んでも内容を覚えていないのは、内容が読者の中に残っているかどうかという点では読んでいないことに等しいのかもしれない。でも、その本を読んだことで読者に変化が起こっているなら、きっと読んでいないことと等しくはない。
「読書によって自分の心が大きく左右されてきたことを認める人間であれば、いったい何冊くらいの本が、その造形に関わってきたのだろうか。」(p.67)
この本で言われていたことを「正しく」吸収できているかは分からないけれど、覚えていようがいまいが、これからも本を気軽に読んでいこう、と思うことができる本でした。