鎌倉幸子『走れ!移動図書館』ちくまプリマー新書

この本を読もうと思ったのは、図書館に興味があるためです。移動図書館には図書館サービスを受けにくい人にサービスを届けるアウトリーチというイメージを私は持っていました。
この本で移動図書館は2011年3月11日に発生した東日本大震災被災地を走っています。
「支援策を考えた時、『まだ図書館ではない』『まだ本ではない』という思いを私自身の中に抑えていました」(p.39)
著者である鎌倉幸子さんはシャンティ国際ボランティア会というNGOの広報課長で長年カンボジアで出版・図書館事業に携わられていたそうです。震災後間もない頃、支援事業の提案を命じられます。以降、現地事務所の設置、移動図書館車体・図書の調達、人員の手配などプロジェクトの進行が綴られていきます。
陸前高田市は図書館員が全員死亡もしくは行方不明。図書館を管轄する市の教育委員会生涯学習課の職員の多くが命を失いました」(p.46)
何もない平時では、何か不都合が起こった時に責任を負うことになっている人・組織、例えば行政を責めればいい、実際に問題が解決するかどうかはおいておいて批判する相手は分かっていると高を括っている自分がいます。でも、そういった「やって当たり前」と思っている人たちがすべていなくなってしまうことがある。それをやるべきだと無意識に前提している組織が無い中でそれまで当たり前だと思っていたサービスが提供され維持される、おおげさな言葉で言えば日常性の維持を継続していくことの困難と素晴らしさをこの本を読んでいると感じます。
「借りた本を返すという約束を守る行為が日常生活を取り戻すことにつながる」(p.217)
普段、必要とされる情報(書籍、資料)が必要とする人に届けばいいな、とナイーブに思っています。でも、そういった認識のぬるさをこの本は静かに指摘してきます。
本を仕入れること、本を並べること、本を選ぶこと、情報を見つけだすこと、情報を分かりやすく提示すること、そういった面で優秀だとされる人もいるでしょう。でも、そういった人たちも普段使っている情報機器などの基盤が崩壊してしまえば本来の力を発揮できないかもしれない。
物流が止まって本が動かなければ、その本を使って成り立っていることは全て何もできなくなる。物流が動きだしても、紙がなくて本を刷れなければ、そもそもの本が存在しなくなってしまう。
平時に資料提供やアウトリーチといった言葉を使っているときに不可視化している部分が明るみに出てくる。
「狭い仮設住宅の部屋では収納ができないのでなかなか片づかない」(p.157)
「手に入れた食材をどうやって長く持たせるかを考えています。」(p.163)
よく借りられる資料に対するニーズから感じられる切実さ。それを満たしていく移動図書館。気がつくと図書館学の5法則を思い出していました。
1.図書は利用するためのものである
2.いずれの読者にもすべて、その人の図書を
4.図書館利用者の時間を節約せよ
人と本がつながればいい、そう思うだけなら簡単です。ただ本が好きなだけの人間、本を読むだけの人間にはそういった状態を実現することはできない。もしも自分の周りで非常事態が起こったときに誰の助けになることもできない。実際に行動できなければ、現実の中で生きることができなければ本と人がつながった状態を日常として維持していくことに寄与できない。そんなことをどうしても考えさせられる本でした。