木皿泉『木皿食堂』双葉社

この本を読もうと思ったのは、木皿泉さん脚本のドラマが好きなためです。
「何かに身をゆだねたいのに、そうすることができない。だったら、最初から嘘とわかっているものに、この身を預けるしかないのではないか。」(p.11)
木皿泉さんがいろいろなところで書かれた文章が集まっている本でした。
直接そのドラマについて言及しているわけではない箇所からドラマのシーンが連想されることがあって、木皿さんの芯にあるものは変わらなくて、表現方法が違っているだけ、ドラマを観ることでその変わらない「何か」を知ったり受け取ったりするというよりも、「どのように」知ったり受け取るのか、その経験/体験の中に木皿さんのドラマの醍醐味があるように思いました。ネタバレという言葉がありますが、ネタがバレたところで観て感じることが減じる種類のドラマではないように思います。
「いいことも悪いことも、全部ひっくるめて今の自分たちを作っているのだ」(p.9)
『セクシーボイス・アンド・ロボ』の中で主人公の少女ニコが「忘れたからってなかったことにはできないんだからね」という主旨のセリフを言う話数があります。
「むきだしのその人を見せられているようだ。私としては、そういうものは、家族も寝静まった台所で、心ゆくまで食べてほしい。」(p.43)
『スイカ』の中で、エロマンガ家である亀山絆が実家に「侵入」する話数があって、確執のある父親が台所であるもの(というより、それをある形で、と言った方があのシーンの意味合いは伝わるのかな)を食べているのを盗み見てしまいます。
こんな風に木皿さんの中にあるものがドラマにはにじみ出ているように感じられます。
「『ホントはないのかも・・・』と思っていても、子供に聞かれたら『あるよ』って言いたいんですよ。」(p.166)
これは羽海野チカさんとの対談(いや鼎談か)で羽海野さんが言っている言葉ですが、それを木皿さんは「だって救いは用意したいですもんね。」(p.166)と受けています。
Q10』で登場人物である藤岡の弟が兄に「生きてていいことある?」と問うシーンがあります。
嘘だと分かっていても(嘘かもしれないと思っていても)、救いを用意するためにその嘘をつく。木皿さんのドラマは救いがあることを信じたくて身を預ける「最初から嘘とわかっているもの」のような気がします。