加藤元浩『Q.E.D.』45巻 講談社

Q.E.D.』というマンガの45巻目を読みました。この巻には「金星」と「初恋」の2話が収録されています。
「金星」を読んで考え込んでしまいました。「金星」は通常のお話が進行する途中で登場人物が10年前に読んでいた子供向け学習漫画が度々挿入されています。その学習漫画の存在に違和感を感じたのでどうしてこういう演出にしてあるのだろう、と考えてしまいました。
「まるで人間の一人一人に物語があるように」
学習漫画のセリフを素直に読めば、人それぞれが自分の物語をもっていることを忘れていなければ、この話数で起きた犯罪は起きなかったかもしれないということを示しているのかもしれないのですが、学習漫画自体の展開と長さを考えるとそれだけなのかなという気もしてしまいます。
この話数の題名は「金星」で上で挙げた作中学習漫画の題名や登場人物(容疑者・被害者)の名前を考えると、作中学習漫画自体が犯人を示す布石となっている可能性を思ってしまうかもしれなくて、でも、もしもそう思ってしまったなら、それは
「私は星々の『物語』を話してきたの・・・それに気付かなかったあなたは宇宙船を降りなきゃいけないわ」
という学習漫画の登場人物のセリフのように、「金星」という話数の中にこういった内容の学習漫画が挿入されていることが読者に語ることを誤解していることになるかもしれなくて(悪い宇宙人と正義の宇宙人が必ず登場して、正義が悪を討つ展開がないと面白くないという考えが、ミステリと括られるお話の中で作中漫画が登場したらそれは謎解きに関与しているはずと考えることはどちらもステレオタイプに縛られることだという意味で)、どうなのだろう、とよく分からなくなりました。
この話数を最後まで読んだなら、真犯人の考え方に対して何かを思うし思わないかもしれない。でも、思ったとして、それが否定的な価値判断を含むものだったときに、挿入されていた作中学習漫画のことをどう捉えていたのか反省してみると、(中身ではなく)形式として真犯人と同じような考え方をしている可能性に思い当たることもあるような気がします。