篠原ウミハル『図書館の主』Ⅰ 芳文社

『図書館の主』というマンガの最初の巻を読みました。このマンガを読もうと思ったのは、図書館に関するマンガのようだったためです。

 

「いずれの読者にもすべて、その人の図書を」

「いずれの図書にもすべて、その読者を」(図書館学の5法則)

ある私設図書館を舞台に児童書を媒介にした司書たちと利用者の交流が描かれるマンガでした。この巻に収録されていたお話は「うた時計」「宝島」「幸福の王子」「わるい子だれだ?」「少年探偵団」「タチアオイの花咲く頃」です。

「あんたが言ってるのは図書館じゃない ただの本が入ってる箱だ!」(p.76)

図書館には、確かに色んな人がいて、司書資格を持っていたりいなかったり、本が好きだったり好きでなかったり、子どもが好きだったりそうでなかったりするけれど、そうやって存在する人間のことをあんまり気にしていなかったなー、と思って印象的な言葉でした。カウンターにいる人と、返却・貸出のときに挨拶するくらいしか言葉を交わしたことないし、名前も知らないし、街ですれ違っても絶対に気付かないと思うと、このマンガで描かれていたような、本を読者に案内するような「人」としての司書って現実にいるのかな、現実に理想像とされているのかな、と考えてしまいました。

あと、気になったのは、読書が人に与えるいい影響を押し過ぎな感じを受ける点でした。確かに、本や読書は人を変えていくものかもしれないけれど、それがイジメや家庭内の問題を解決に導くとは限らないし、逆にこじれさせることもあるかもしれない。本を山ほど読んでいる極悪人というのは、きっと存在すると思います。「読書と豊かな人間性」という講座(単位?)名があるのですが(今でも存在しているのかな?)、その名称を聞いたときに感じた空虚さのようなものを思い出します。

「建てられた理由が何であれ ここはこんなにいろんな人達に必要とされてるんですから」(p.159)

本を読むことに関する諸々は、合目的性で捉えるのとは別のことのような気がします。

「お前が本を選ぶんじゃない 本がお前を選んだんだ」(p.21)