津村記久子『ワーカーズ・ダイジェスト』集英社

この本と読もうと思ったのは、あるブログの記事を読んだためです。
「佐藤さんはさ、淡々と働いてればそれが人生の義務を果たしたことになると思ってるんだ?」(p.103)
このお話の中心人物は二人の佐藤さんです。一人は男性、一人は女性。仕事の関係で出会った二人は他人なのですが、偶然にも名字も誕生日も年齢も身長も同じ、という設定でした。
この本を読むきっかけとなったブログの記事の影響もあると思うのですが、この二人が自分ととても似ている気がして、というか自分との共通点を探すために読んでいるような予めの方向づけがあって自分のことを読んでいるような感じがあって、とてもくすぐったい読書でした。
今の職場に異動してしばらくした頃、環境が変わったのに淡々と働いていて落ち着いている、と先輩に言われたりしたのは、自分の持ち分はそれで果たしている、という高をくくった気持ちの反映だったかもしれないし、大人になってから茄子が好きになったこととか、家族にいいそびれていることを「言うならすぐ言え、言わないなら一生隠せ」(p.49)と考えることとか、とても馴染みのあることばかりでした。
そんな中で極めつけだったのが誕生日のことかもしれません。この2人の誕生日は私自身のものとは違うのですが、とても馴染みのある日付で、おまけに最近、職場で自分と日付どころか年まで誕生日が同じ人を発見してしまって、ただの偶然なのですが、それでもとても印象に残る設定でした。
作中、佐藤(女性)が自分のもてなさ加減を考えて、佐藤(男性)は自分の代わりにもてていてくれ、と思うシーンがあります。そのとき自分が置かれている状況にもよると思いますが、私も自分の誕生日が来るたびに、その同じ誕生日の人のことを考えたりして、幸せであってくれればな、と思ったりするかもしれません。屈折した考えかもしれないけれど、その人が幸せな人生を歩んでいれば、同じ日に生まれた自分にも同じようにいいことが起こっていたかもしれない、という可能性を信じる余地が残るように感じるためです。同じ日に生まれた人なんて、たくさんいるのだけれど。
「まだ時間があるのか、佐藤さんは隣のベンチの端に座る。重信にはそのことが、とてもかけがえのない猶予のように感じられた。」(p.153)
こういう瞬間というのは、淡々と日常を過ごしていることへの報償のようなものかもしれないな、と思います。実際にはそんなことはないのだけれど、日々を淡々と過ごしている分、逆にそんな風に感じられるような。もしも魔がさして1本早い電車に乗らなかったら、もしもいつもはそんなことないのにトイレに行かなかったら、そうやって微妙にズラされたタイミングの中にそんな瞬間が生じると、「淡々と」というリズムが時間の中でその隙間を作るために作用しているように錯覚してしまいます。単純に、作中の2人に救いがあって良かったね、という感想なのかもしれないけれど。
「彼に、今日の自分について話したいとぼんやり思った。」(p.110)
ある歌の受け売りですが、夕暮や雨音や自分の見たもの感じたもの、そういった対象に反応した自分自身のことを伝えたいと思うのは、もう恋しているということじゃないのかな、と思います。