西畠清順『プラントハンター』徳間書店

この本を読もうと思ったのは、西畠さんを特集していた『情熱大陸』をちらっとだけ見て気になっていたのと、個人的な事情のためです。
前に、元同僚と久しぶりに会った時に「植物が好きなの?」と言われました。私がどこかへ出かける理由にTVなどでそこで咲いていたり植わっているものを見て、見たくなって出かける、というものが多いことへのツッコみでした。そこで、植物が好きなのかな、と思っていたところに偶然登った(といってもちゃんと道がついている)山で出くわした虫や蛇がとても怖くて、もっと自然が自然らしくしているところでは、身の危険は深刻かもしれなくて、よく山歩き用の植物図鑑や国土地理院の地形図を購入する人を見かけるけど、ああいった人たちは山の中で危険を感じたり怖いと思ったりしないのだろうか、と考えたりして、そんな「自然」の中へ植物を見に出かける人は、その危険も含めて植物を好きな気がして、もしも、自分が植物を好きだとしたら、その好意はとても歪なものなのではないのかな、と思ったりして、植物をハントすることを生業とする人に興味があったのだと思います。
「枯らすことを必ずしもかわいそうだと思う必要はありません。その一本のバラが食卓を華やかにしたのならそれでいいのです。」(p.107)
西畠さんの考え方はとてもカラっとしています。そこには、植物さえも消費しているだけではないか、といった風なナイーブな憂いは微塵も感じられません。自分が感動する対象である植物の素晴らしさを求める人に届ける。求める人の感動するポイントが自分のそれと違っていても、そこでどれが「本当」かといった類のもめごとは起こさない、といったような。
植物のことを考えていてこの本を読んでいたのに、気がつけばバイヤーのあるべき姿を読んでいるような感じを受けていました。自分が出会った植物が新しいものなのかどうかを見極めるには、それまでに知られている植物を知識として持っていなくてはいけない。新しい商材を考えるときに、類似商品があるのかどうか、価格の位置づけなど既存の商品の布置される地図のようなものを知っている必要があることと通じるような気がしますし、それを仕入れる(輸入する)ことがどれほど人を感動させることなのかどうかを把握できるセンスを磨くという姿勢は理想の姿なのではないのかな、と思いました。