パスカル『パンセ』中公文庫

「人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。」(p.225)
この本を読もうと思ったのは、「人間は考える葦である」という言葉が有名なパスカルさんですが、『パンセ』自体がとても面白い本であるとどこかで読むか聞くかして興味を持ったためです。
読んでいて、いろんな考え方からいろんなことを連想して面白かったです。
「もしも、古いことが信じることの基準だとするならば、古代の人たちは基準がなかったことになるのだろうか。」(p.179)
「私は、習慣が第二の自然性であるように、この自然性それ自身も、第一の習慣であるにすぎないのではないかということを大いに恐れる。」(p.69)
こういう考え方は、脱構築という言葉をよく目にする思想の周辺事態の萌芽のように感じられますし、
「着飾ることは、そんなにむなしいことではない。なぜなら、それは大勢の人間が自分のために働いているということを示すことになるからだ。」(p.209)
なんかは、ヴェブレンの顕示的消費?とも思ってしまいます。
卑近なところでは、「われわれが通りすぎる町々。人はそこで尊敬されることなど気にかけない。しかし、そこにしばらく滞在するとなると、気にかける。」(p.105)という箇所は、自分の仕事の事を言われているように感じてドキッとしました。
あと、「人は確かさを好む。教皇が信仰において無謬であり、いかめしい神学者たちが道徳において無謬であることを好む。自分が確信を得たいために。」(p.586)という箇所からは、最近読んだ佐藤多佳子さんの『聖夜』という小説のなかで、登場人物たちが他人の中に自分が「信じたいもの」を見ていた様を連想したりしました。
ただ、ひとつ考えさせられたのは、本物と偽物について書かれた箇所でした。
「偽物が多くあるから、真の奇跡があるのであり、本物があるからこそ、偽物もあるのであり、同様に真の宗教があるからこそ、偽りの宗教もあるのだと言わなければならない。」(p.540)
本物がなければ偽物を作れない、というお話なのですが、私はこの部分を読んで、もしも、本物が「ある」のではなくて、偽物の否定としてしか想定されないイデアのようなものだったとしたら・・、と考えてしまって気になりました。
いろいろ考えや思いがふらふらして面白い本でした。
「哲学をばかにすることこそ、真に哲学することである。」(p.11)