佐藤多佳子『聖夜』文藝春秋

この本を読もうと思ったのは読書感想文コンクールの課題図書だったためです(中学校の部)。今年は中学校の部も読んでみることにしました。
「あなたは怒っているはずなのに、私を怒らない。神様が私を許すはずだから、自分も許さなければいけないと思っている。」(p.165)
牧師の父と、息子と、別の男性のもとへ去った母とによるお話で、息子さんはオルガンを弾いていて、それなりにこだわりを持っている、という内容でした。
「本当に優しい子なんだよ。だから、悪いことの一つもできやしないのさ。かわいそうだね」(p.155)
怒られる側にしてみれば、怒られない方がいいかもしれないのに、怒らないといって相手を責める。悪いことをしないのはいいことかもしれないのに、悪いことができないといってかわいそがられる。
「高校生で、あの難曲をあそこまでちゃんと弾ければ、もう、自慢、自慢、自慢って感じよ。」(p.175)
周りから見れば、うまく弾けているようでも、自分自身はちゃんと弾けていないことを知っている。
外にある規範に合わせて自分を失くしているように言われる父親と、自分の音楽がないのに外には受け容れられる演奏ができる息子は似ているのかもしれません。
外の視点が存在することで「自分」がぶれてしまうとしたら、そのブレを押さえる何かを求めるのかもしれなくて、息子の場合、その理想の姿を他者の演奏の中に見ているようです。
「彼女の弾くバッハには、神がいる。」(p.212)
でも、彼女はバッハを嫌いでした。
「同じものを弾いて、自分とこんなに違うのかって。」(p.73)
それを変えたのもまた別の人の演奏でした。
自分が自分であるための支えのようなものは、本当は自分の中に理想の形のようにあるのかもしれない。でも、それをカタチとして見せてくれる他者の存在が、それを信じることを強めたり支えたりしてくれるのかもしれない、そんな風に思いました。
「この心の震えは、祈りに似ている。」(p.213)