伊吹有喜『四十九日のレシピ』ポプラ社

この本を読もうと思ったのは、前にNHKでやってたこの本が原作のドラマがとても良かったためです。
「あれが最後の会話とわかっていたなら―。」(p.226)
急死してしまった妻の願い通り、49日に法要ではなく大宴会を開く、というのが大筋のお話です。
「思えばきちんと乙美の料理をほめたことがない。」(p.6)
旦那さんはね、奥さんが生きている間に自分の気持ちをちゃんと伝えることができなかったんですよ。
「子どもを産まなかった女の人生は、産んだ人より余白が多いのだろうか。」(p.107)
旦那さんの連れ子である娘は子どもを作れない自分の人生と、後妻に入って自分の子どもを作らなかった(でも、自分のことは大切にしてくれた)継母の人生を重ねて、考えています。
「血のつながりだけを家族というのなら、うちはなんだ?乙美は百合子の母親ではないのか。うちは偽物か?」(p.235)
父も娘も母親の人生が幸せだったのか、と疑問を持っているのですが、お話を読んでいると、確かに乙美さんは幸せだったのだと分かってきます。
幸せかどうかが、人のためになっているのかどうかという基準で測れるとしたら、彼女は旦那さんのためになっているとちゃんと感じられていたからです。
「好きとか愛とか、アイラブユーとか、そんな言葉はなくてもいいです。私がこしらえたものをおいしそうに食べてくれる人、それだけで充分に幸せです。」(p.172)
そんな風に誰かの喜びに自分がなれる、と実感できるのは本当に幸せなことなんだろうな、と思います。読んだ後に、誰かのことをとても大切したくなる本です。その大切に想う気持ち自体が相手から顧みられないものだったり、思い出されないものだったとしても。
「飛び箱の踏切板ってあるでしょう。私たちはそれなんです。思い切り走って、板を踏み切って箱を飛んだら、もう思い出さなくていい。」「みんな、誰かの踏切板になって、次の世代を前に飛ばしていく」(p.192)