石塚真一『岳』14巻 小学館

『岳』というマンガの14巻目を読みました。
「三歩に『よく頑張った』と言う人間はいないんだ。そんでも三歩は救助に出ていく・・・」(p.101)
救助をする人だから、助けて当たり前。助けられなかったら、落ち度があったんじゃないのかと責めることもあるかもしれない。
「父ちゃんの救助に行ってくれて、ありがとう。」(p.37)
取り返しのつかない状態になっている可能性の方が高いかもしれなくても、助けにいく。山岳救助に限らず、やって当たり前、できて当たり前だと思ってしまうことの中にある大変さを忘れているんじゃないか、そんな大変なことをしている人たちへありがとうという気持ちを忘れているんじゃないのか、といったことを考えてしまいました。
でも、仮にこのマンガの主人公のような性格じゃなかったとしたら、そんな風に大変さを慮ることも難しいのかもしれないのですが。
「おめでとう。」(p.156)
先日、友人の結婚式に出たのですが、どうしても震災のことを考えてしまっていました。旦那さんと幸せになっている彼女と、唐突に奪われてしまった命と。不謹慎さとか、そういったことではなくて、単純にここにある光とあそこにある影と、その違いは何なのかという戸惑いのようなもの。その時に会った別の友人が、今年は結婚する知人が多い、と言っていました。震災の影響は、やっぱりあると思う。あの日は金曜日だったはず。告白しようと思っていた人、プロポーズしようと思っていた人もいたと思う。単純にあると思っていた明日がないかもしれない。一緒になれる人、機会がある人は一緒になっていたほうがいい、と素朴に思います。
「光と影」という話数では、同僚の結婚と幼馴染の死が対照的に描かれます。泣いていない人が悲しんでいないとは限らない。悲しみは別のところに流れているのかもしれなくて、それは何かのきっかけで涙に変わるのかもしれない。悲しい出来事と同時にある幸せな出来事にどう反応すればいいのか。「光と影」の一番最後のコマでの表情のようにそれをそれとして受け止めて、ちゃんと祝福すれば良かったのか、と読みながら思いました。