辻由美『読書教育』みすず書房

この本を読もうと思ったのは、図書館の棚で背表紙が気になったためです。辻由美さんには『図書館で遊ぼう』のイメージが強かったというのも理由のひとつかもしれません。
タイトルから連想するように子どもたちに本を読ませるための方策が書かれているのではなくて、試みは試みなのですが、読書教育というよりは、子どもたちと一緒に本を読もうとした活動、という印象の方が強い本でした。
この本では「高校生ゴンクール賞」というフランスにある文学賞に多くのページが割かれています。ゴンクール賞は日本の芥川賞に相当するそうで、「高校生ゴンクール賞」の方は、本家ゴンクール賞のノミネート作品を高校生が読んで自分たちの受賞作を決める、というもののようでした。
「作家や文芸評論家たちを審査員とする数多くの文学賞をしりめに、高校生ゴンクール賞は、『信頼のおける賞』という定評を得るにいたった。」(p.26)
「高校生審査員にとって、自分たちが読んだ本そのもの以外に、判断の基準はありません。」(p.106)
この本を読みながら、私は本屋大賞のノミネート作を、それこそ高校生たちに読ませて受賞作を選ばせたら、書店員さんたちの投票と似たような結果になるのか、それとも・・・ということを考えていました。
「自分たちが知っている本だけを選考の対象にするとすれば、たぶんテレビが取り上げる本ばかりになってしまうでしょう。」(p.131)
本屋大賞のノミネート作一覧を見て、もっと存在を知らないような本を教えてくれてないかな、と思ってしまうのは、書店員さんたちに甘えているんだろうな、と思います。大賞作とか、『悪の教典』とか、もういいじゃん、と思っている自分がどこかにいます。どっちも読んでないのに。
「読書は労働時間外の仕事ですよ!」(p.151)
私が本屋大賞に動揺してしまうのは、ラインナップや結果が、書店員と呼ばれる人たちが、実は本を読む時間をそれほど得られない、ということを示唆しているように感じるからかもしれません。多くの本を読めないから、選ぶ範囲も狭くなってしまう、のかもしれない。よく、チェーン展開の書店を指して、金太郎飴のようだ、と揶揄する声を聞くことがあります。その金太郎飴、という印象を賞についても感じてしまうのかもしれません。
「書店員に本を売るという職業について話してもらう。」(p.185)
これは、あるプログラムの中の一環なのですが、子どもに本を売るということを書店員が話すとき、どんな風に話すのだろう、と思います。本のことを知らなくても、コードにしたがって並べればいい、在庫の順位があって、ランクの低いものを棚から外して高いもの(=売れる、ことになっているもの)を並べればいい、という説明は、あまり子どもに明るくは響かない気がします。蛇足ながら付け加えておきますが、私はそういった仕事を否定するつもりは全くありません。
ただ、「刊行されてまもない、まだ評価の定まっていないこれらの作品に、生徒たちは自分自身で評価を下さなければならない」(p.134)ことを強いられる子どもたちにとって、本はきっと「みなさんが生きることのない人生のなかにみなさんを連れていきます」(p.100)というもので、自分自身ではない存在の評価や、予想できてしまう人生の中で捉えられたかのような本との関係は、この本で描かれていた読書への誘いとは異なったもののように思うだけです。
夏の読書感想文も、課題図書を読んで書いた感想文を評価するんじゃなくて、課題図書「を」評価するようにうまく活動を組めたら、面白くなるんじゃないのかな、と無責任なことも考えたりしました。