結城浩『数学ガール:乱択アルゴリズム』ソフトバンククリエイティブ

この本を読もうと思ったのは、シリーズを読んでいるためです。
「約束を守らないのは悪者。約束が守れなくなるのは事故。でも―約束をしないのは弱虫だ」(p.332)
むかしの傷口にいろいろと塩を塗りこまれような巻で、読んでいて辛かったです。
「もう手遅れと定義するのはリサの自由だ。シニカルに語るのはリサの自由だ。好きにすればいい。リサの《学び》に対する姿勢が、それでわかる。結局、リサは謎を解くことよりも、自分の心を守ることのほうが大切なのだな」(p.237)
学生の頃、数学が本当にできませんでした。そのできないことに対する自分の姿勢と言い訳と正当化と。その全部に対する強烈な批判を受けているように感じました。そして、更に辛かったのが、この本自体も後半にすすむにつれて全く内容が分からなくなっていったことでした。分からないのに読み続けて、分からないまま読みおわる、最後には何も残っていない、得られていない。この本から指摘されているように感じた自分のマズい姿勢がそこにまた表れているようで、結局何も変わっていないんだな、と追い込まれます。数学に対してとってしまう姿勢は何か他のものと対峙した時にもとってしまうのではないか、と怖くなってきます。
「肉体としてのあたしがいなくなった未来の人へも、あたしは何かを伝えたいって思うんです。」(p.235)
という登場人物の想いに、ある人物がその手段を答えています。その箇所を読んだとき、私は、ほかの手段もあるんじゃないのかな、と思いました。
「人に教える。その人が、さらに別の人に教える。そうやって、ずっと先まで、思いが伝わっていくんです」(p.443)
自分の想いを伝える手段に登場人物は自分自身で思い至っていました。
私は自分の子どもを持たなかった教師のことを考えることがあります。そういった教師は子どもを「育てなかった」ことになるのかな。だとしたら、教え子に与えた影響はどうなるのだろう。教師に限らず、自分の子どもをもたなかった人が「他人の子ども」に与えた影響はどうなるのだろう。子どもとは直接関係がなくても、その親との交際の中で与える影響はその親が子どもに与える影響に関係はないのだろうか。
いずれにしても、想いを未来に伝える方法はひとつではないような気がします。
内容は理解できなかったけれど、結城さんの数学に対する想いは感じられたように勝手に思った本でした。
「暗算・筆算・コンピュータ。どの方法でも問題は解ける。しかし、隠れた謎に気づくほうが楽しい。隠れた構造を見抜くほうが楽しい」(p.273)