宮部みゆき『小暮写真館』講談社

この本を読もうと思ったのは、宮部みゆきさんの小説だったためです。
「生きてる者には、ときどき、死者が必要になることがあるんだ。」(p.351)
小暮写真館という写真屋さんに住むことになった家族が中心のお話でした。と、言っても、小暮さんたちはいなくて、空き家になっていたところを買った、という展開ですが。
で、この本を読んでいると、上に引用した言葉をところどころで考えてしまいます。
「縁側は家の一部だ。だけど、家の持ち主はそこで暮らすわけじゃない。」(p.275)
縁側の外、この世ではないところに住む人は、ここにはいない。それじゃ、この世はここにいる人だけで成り立っているかといえば、そうではないような気がします。居なくなった人たちが「居ない」という状態で含まれて、それも込みでこの世はできている。少なくとも「ここ」にいる人たちにとっては、そうなんじゃないのかな、とこのお話を読んでいると感じられます。
そして、それは写真についても言えるのかもしれない。
「小暮泰治郎氏は、被写体としては真に写真嫌いだったということが確認できた。」(p.710)
写真に写っている世界は、写っている人やモノだけで成立しているように見えるけど、実は写っていない撮影者がいなければ成立しない。居なくなった人たちが、ここで生きている自分がしっかりやっているのかどうか見ている、という感覚は、写真にうつることのない撮影者に見られることで写真ができている、ということに似ている気がします。
「わたしがいないから、みんな笑顔で写ってるのよ」(p.115)
それとは別の意味で、居ない人の存在が世界の姿に影響することもある、ということもあるかもしれないのですが。
最後に、なんでもない言葉だけれど、この本の中で一番響いた言葉を引用します。
「走ってくる電車を、正面から見られる場所」(p.317)
そのとき、その場所、その瞬間、想いを伝えるのに最適な言葉は、その想いを直接表現したものとは限らない。直接的な表現以上に想いをあらわれている言葉はとても心に突き刺さってきます。
「ホントの気持ちをうまく言えないときに、本気じゃないことをうっかり言っちゃうんだよ」(p.540)
ってこともあるのだれど。

2011.5.16この本について他の方が書かれている感想で気になったものにリンクを張りました。

小暮写真館 - りつこの読書メモ