天藤真『大誘拐』創元推理文庫

この本を読もうと思ったのは、積読になっていたためです。子どもの頃、週末のテレビで2時間映画の時間にたまにこの本を映画化したものが放映されていた記憶があります。2、3度見た覚えがある。この本は週刊文春の20世紀傑作ミステリーベスト10で1位だったと帯に書かれているのですが、その映画の記憶だとミステリだと思えなくて、ずっと引っかかっていました。
「それだけは死んでも言えまへん。罪人のわが子の行方を言う親がおりまへんようになあ。・・・私、今ではなあ、あのものたちの母代わりみたいなもんですのや」(p.435)
お話の筋自体は単純で、お金持ちのおばあちゃんが3人組に誘拐されるものの、おばあちゃんが主導権を握り警察当局を出し抜いていく様がユーモラスに痛快に描かれている、と言っていいと思います。なので、「ミステリ」と言われて想像するような謎解きの要素がないような気がしていました。
「八十すぎの老婆の誘拐か。まさか色恋沙汰じゃあるまいし、変わったことするやつもあるもんだな」(p.87)
色恋ではないかもしれないけれど、この誘拐の裏には犯人のおばあちゃんに対する好意というか甘えがあったのだと思います。
「自分の手がこんなに冷たかったかと思うほど暖かかった。」(p.125)
そして、彼女の手から温もりを感じてもいる。そう、人から握られることもないと、自分の手が冷たいことにも気づけないのですよ。いいけど。
それはさておき、おばあちゃんの人間の弱さや困った部分に対するやさしさを感じられるので、読んでいても安心を感じるのですが、依然としてどうして「ミステリ」なんだろうという疑問はつきまとっていました。
「その一人一人の目!いたわるような目・・・哀れむような目・・・白々しいような目!」(p.423)
このお話を読んでいて安心できるのは、そこにお母さんが与えてくれる包容力のようなものを感じることができるからだと思うのですが、それを感じさせてくれる人自身が、実はとても寂しい人だったのではないか、と終盤で感じてしまいました。
作中、犯人たちに協力する理由を問われて、おばあちゃんは猜疑心という言葉を使ってそれに答えていましたが、そんな寂しさや猜疑心がひしひしと感じられるシーンがそこにはあって、自分はそこで初めて協力した動機が腑に落ちた感じがしました。猜疑心から転じて生じた怒りのようなもの。この本で描かれていた「誘拐」の動機として納得できるものでした。そして、そう考えると、ホワイダニットという意味でたしかに「ミステリ」だったんだな、と思いました。