北村薫『盤上の敵』講談社文庫

この本を読もうと思ったのは積読になっていたためです。
「今、物語によって慰めを得たり、安らかな心を得たいという方には、このお話は不向きです」(p.4)
この本のことを表現する言葉の中に「悪意」という文字を見かけることが多くて、尻込みしてしまって今までなかなか読む気になれませんでした。今、読むことができたのは自分の中に何か心境の変化があったからかもしれません。
文庫版なので解説がついていて、光原百合さんが書かれています。その中でこの本のことを「北村作品として『異質ではないが異色』という性質をもつもの」(p.353)と評されています。
北村薫さんというと通常は日常性のミステリという言葉が連想されるように読む人に安心を与えてくれるような世界が描かれているように思うのですが、そんな「やさしい世界」は外にある悪意に満ちた世界のネガとして明瞭な輪郭を与えられているからこそ「やさしさ」が確立しているのだと思います。
岩岡ヒサエさんの漫画も絵柄がほのぼのしていて、やさしい感じがするのですが、どの作品だったか忘れたのですが、怖い部分が感じられるものがあって、同じようなことを感じたことを思い出します。
なので、光原さんの解説を読んだときは、とても納得できました。
読みおわってふと考えてしまったのが題名の意味でした。チェスになぞらえているからこの題名なんだろうな、と思ってしまうのですが、読んでみると駒の動きとこの本の中の「事件」の進行はそれほど繋がりがあるようには思えず、どうして盤上の敵なんだろう、と思います。
そんな風に思っていると机上の空論という言葉を連想しました。「盤上の」も同じように理念系のようなものなのかもしれない。人間の悪意が怖いのはそれが「あってはならないこと」(p.321)なのに存在するからかもしれません。人に襲いかかるときは、個別具体的な人間の姿かたちをとって現われるけれど、予め織り込まれているから、その具体的な個人を排除したところで「悪意」自体を消せるわけではない。チェスというゲームといったときに各駒の働きや動きがあらかじめ規定されるように。この本の中で悪意と闘おうとする登場人物たちのことを考えると、そんな風に思えてきました。
「始めと終わりがあるなら、その間に何かがあったということになる。」(p.163)