梨木香歩『裏庭』新潮文庫

この本を読もうと思ったのは、積読になっていたためです。
「『裏庭』こそが人生の本当の表舞台。」(p.397)
あるお屋敷にある「裏庭」を冒険していく少女のお話と、「裏庭」にまつわる歴史、「裏庭」の外にある現実世界での時間の経過が綴られて進行していくお話でした。
私はこの本を読むのに失敗しました。読みはじめる前にうっかり「解説」が書かれているページを開いてしまって、河合隼雄さんが解説されているという先入観を持ってしまったためです。
「傷を、大事育んでいくことじゃ。そこからしか自分というものは生まれはせんぞ。」(p.253)
以前読んだ『ユング心理学入門』という本の中で、人間を個性化するのは、長所ではなくて、各人それぞれの欠点である、というような考え方が書かれていたのが印象的で、河合隼雄ユング心理学という印象から、ユング心理学的な理論が先にあって、そういった考え方を織り込むために(織り込みたいために)お話を作ったのではないのか、という感じがしてしまって、この本自体にうまく入りこむことができませんでした。
「鏡は、さっちゃんの心労のあまりやつれた顔を、倍も歳をとって見せた。」「―ああ、これはおかあさんだ。」(p.382)
このお話では、鏡が随所で用いられていて(「裏庭」への入り口も鏡です。)、鏡に映るのは自分のはずなのに、そこに別のものを見るというのは、自分が形を変えたものをそこに見ているように思えて、それはまた、ペルソナとアニマ/アニムスのお話に通じるように感じられて、ユングの影がちらついてきます。
「崩壊を促す礼砲の音は、同時に新しい国を生み出す音でもあったのか」(pp.373-4)
人が鏡に向かって歩みを進めるとき、鏡の中の自分は鏡の外へ向かって進みます。それはまるで鏡像である自分自身が自分の背後へ進もうとしているよう。前に進んでいるつもりでも、鏡像の自分は「後ろ」へ進もうとしている。そういった動きは、終わりがはじまりの始まりであることと通じているように勝手に思います。