加藤元浩『Q.E.D.』37巻 講談社

Q.E.D.』というマンガの37巻目を読みました。この巻には「殺人講義」「アニマ」が収録されていました。

「『プロファイリング』という言葉はプロフィール(人物像)をファイリング(収集整理)するという意味から作られており」

「殺人講義」はFBIのプロファイリングの講義を主人公たちが受けるというお話しです。

profileというと連想してしまうことがあります。以前、ある歌手の方が人は横顔では嘘をつけない、という自論を展開されていました。ご自身の経験からのようでしたが、正面からに比べて横顔は油断してしまって取り繕えない、というお話しでした。私がはじめてprofileを英語でみたときの意味が「横顔」でした。この二つが重なって、プロフィール、と聞くと人はプロフィールでは嘘をつけない、本当の姿をさらしてしまうのかな、と連想してしまいます。自分を本当に匿名にしておきたいのなら、「プロフィール」に何も書かないのが正解なのかもしれません。

この巻では「アニマ」の方が印象的でした。

私は会社のある先輩とどちらが先に結婚するか、密かに競っています。だけど、その競争には負けることを多分、期待しています。彼女が結婚できなければ、私の「いいわけ」が消えてしまうためだと思います。

「アニマ」はアニメ制作会社が舞台となったお話です。その影響もあってか、今敏さんの『妄想代理人』を連想してしまいました。

妄想代理人』の中では、少年バットと呼ばれる通り魔に登場人物たちが次々と襲われていきます。でも、その登場人物たちのほうが襲われることによって現実で直面している困難を回避していっているのを見ると、少年バットは実はエージェントなのではないか、という風に観ながら考えていってしまいます。

始めたり辞めたり、何か転換点を迎えるとき、自分の背中を押してくれる何かを作り出してしまうのかもしれない。そんな「いいわけ」に支えられて新しい一歩を踏み出していくのかもしれません。

「私が犯人でよかったのよ」

とても美しい女性が結婚できないのを実際に知ってしまうと、結婚できない理由を美しくないこと(だけ)に求められなくなってしまいます。