金子光晴『絶望の精神史』講談社文芸文庫

この本を読もうと思ったのは、多分何かの本で触れられていて興味を持ったまま積読本になっていたためです。

金子さんがどんな方なのか予備知識一切無しで読みはじめたのですが、「絶望」という言葉から自分が感じている暗さや重さといったものが感じられない記述で、正直言って少し拍子抜けしました。

金子光晴そのひとは、自分に絶望しなかった」(p.203)

解説のような箇所で伊藤信吉さんという方がこう書かれています。私も読みながら、金子さんが自分が生きてきた時代のことや絶望していると見なした人のことを語りながらも、自身は絶望していないんじゃないのか、と感じていました。

「ただ一つたしかなことは、絶望の正体がなにものであれ、ある人が絶望したという事実は、事実であるということである。」(p.16)

でも、読みながら私は別の本のことを連想してもいました。『戦場のピアニスト』という本のことです。その本では、戦争の悲惨さが書かれていても、記述自体は淡々としているという印象を受けた記憶があります。

「だれがどんなことをするかわからないし、どんなことでもできたかもしれない。」(p.124)

記述からそんな印象を受けないからといって、絶望していないとは限らない。逆に、どんな絶望していると訴えていても、絶望していないかもしれない。絶望することは、傍観者のような出来事に対して無感動な視点で物事を捉えることに通じているのかもしれないとさえ考えてしまいました。

「絶望の姿だけが、その人の本格的な正しい姿勢なのだ。」(p.189)