村上春樹『1Q84 BOOK2』新潮社

この本を読もうと思ったのはBook1を読んだためです。

「リトル・ピープルがその強い力を発揮し始めたとき、反リトル・ピープル的な力も自動的にそこに生じることになった。」(pp.274-5)

この部分を読んだとき、私は上遠野浩平さんのブギーポップシリーズを連想しました。ブギーポップは「世界の敵」が現れたときに自動的に出現する「世界の敵の敵」。で、そうやってライトノベルを連想するのは、この『1Q84』を読んでいて、ライトノベルっぽさというか、KIDのinfinityシリーズっぽさというか、そういったものを感じていたためです。

「構図はまったく同じで、人物が入れ替わっているだけだ。」(p.130)

1Q84』は章立てになっていて、各章で二人の主人公が交互に描かれています。もしかしたら、infinityシリーズの『Ever17』をして以来そういった風に身構えてしまうのかもしれませんが、各章で描かれているのが同じ世界でのことのように読者に思わせておいて、実は違った世界について書かれているような予感があったりして、件のアドベンチャーゲームっぽさを感じます。同じ登場人物、同じ設定、同じ展開が描かれても実は異なった二つの世界を交互に読んでいるだけかもしれない。文字に書かれていないところで月の数だけが違っていたとしたら、それは読んでいる人には分からないかもしれない、みたいな。

そうやって感じると、ライトノベルとかゲームとこの村上さんの小説の違いは何なんだろう、と素朴に思います。性交シーンの多寡かな。多分、ライトノベルと言われるものではこんなにセックスは描かれないと思う。じゃ、ゲームで考えたら、アドベンチャーゲームエロゲーとか呼ばれるものとの関係にライトノベルとこの小説の関係が近くなってきたりするのかな。

「説明しなくてはわからないということは、説明してもわからないということだ」(p.454)

よく小説について書かれた文章で、「新人にしては文章がうまい」といった感じのものがあるけれど、私はその文章の巧拙がよく分からないからそんな風によく分からない感じになるのかもしれません。中身じゃなくて描写の仕方というか、文自体を味わっているかのような文章を見ることもあるけれど、それもよく分からなくてそんな風に思うのかもしれません。からあげとバンバンジーを前にして鶏肉じゃん、と思うような鈍さかな。そんな分からん奴には読んで欲しくない、とか言われるかもしれないけれど。