ナオミ・クライン『ブランドなんか、いらない』はまの出版

この本を読もうと思ったのは、存在は前々から知っていたのですが、堤未果さんの『ルポ貧困大国アメリカⅡ』の中で触れられている箇所があって興味を持ったためです。

「そのチェーンで食事をすれば、誰かが苦しみのなかでつくった食べ物を食べることになります。子どもに玩具を買えば、その玩具は子供時代を奪われた気の毒な子供がつくったのかもしれない。」(p.321

これは、トリム・ビッセルさんという方の言葉として文中に出てきます。

私がこの本を読もうと思って、自分が読むことになるだろうと予め期待していたのが正にこの言葉のような事態でした。この言葉を自分ではなくて、他人の言葉で読むためにこの本を読んだといってもいいかもしれません。そしてそのことに気づくと憂鬱になります。

インドネシアの労働者たちは、私のような人間にはすっかり慣れている。つまり、ナイキ、ギャップ、リズ・クレイボーンなどの大企業の製品をつくる工場の、悲惨な状況を調べにくる外国人だ。」(p.13)

外国の悲惨な状況を知ることをタダ読むだけで消費するようなカタチは、外国の人を搾取することで大企業が提供してくれる安価な商品を消費することに似ているように感じるためです。

この本を読んで、ブランド(大企業)が世界に広がっていくことに批判的な考えを持ったとして、そうする自分はその批判しようとするものとどう違うのだろう、ということを感じてしまいます。

「本書の内容は膨大だが、これまで誰も、このように点と点をつないで線にし、絵にして見せてはくれなかった。」「一度カラクリが見えてしまうと、ものの見方がすっかり変わってしまう。もう前と同じような目でブランドを見ることはできない。」(p.404)

「訳者あとがき」での松島聖子さんの言葉です。

この本が出版されたのは2000年だそうですが、2010年の今では点と点がつながれた絵は他にもたくさん描かれているように感じられて、既にものの見方がすっかり変えられてしまっているためか、尚更こういった反ブランドに関する情報を消費しているだけのように感じてしまいます。

そして、気になったのがブランド・イメージとして「クール」が基準になっていたこと(p.82-)と、反ブランドの動きの中でインターネットの可能性に触れられていたことです。

ただの連想ゲームですが、「クール」という言葉は、iPod関する本を読んだときに、たしかスティーヴ・ジョブスさんが是としていたことだと記憶していて、今、世界の問題の解決にtwitterが果たす役割が話題になることがあって、で、そのtwitteriPhone経由で使われることが多いというイメージがあって、そこでappleiPhone、インターネットとつながるのですが、そういったネットの色んなことを実行している端末が作られる際に(iPhoneがそうだというのではなくて)、どういった工場で作られているのかとか、レアメタルが使われていないのだろうかとか、そのレアメタルの流通過程で武力によって血が流れていないのだろうか、とか妄想しだすと、抵抗するための新しい方法が出てきている一方で、抵抗しようとするものの部分になっていっているという事態はないのかな、と考えてしまいました。

「何を裏切っているのか。それは、情報化時代の最大の約束―選択肢の拡大、双方向性、自由の拡大という約束である。」(p.170)

これはビル・ゲイツさんについて書かれた文ですが、とても気になります。