近藤誠『患者よ、がんと闘うな』文春文庫

この本を読もうと思ったのは、柳原和子さんの本を読んでいると、この本のことや近藤誠医師のことが頻繁に出てきて気になったためです。

「結論は、手術はほとんど役にたたない、抗がん剤治療に意味があるがんは全体の一割、がん検診は百害あって一利もない、などです。」(p.13)

この本を読んでいる限りでは、近藤さんの考え方はとてもドライなものに感じます。手術をしてもしなくても、結果としてがんで死ぬのなら、臓器を摘出して不自由な生活をするよりも、感染症にかかるよりも、そういった苦しみがないほうがいいのではないか、といった感じの考えが展開されていました。

「早期発見理論が否定されれば、現行のがん診療システムは根本から崩壊し、多くの人たちが職を失います。」(p.252)

「手術をつづけるためには、医師のがわに、がんへの恐怖をあおり、タブー化する必要があったのではないでしょうか。」(p.120)

私は医療とは違って、人の生き死にに直接関係しない仕事に就いていますが、自分がやっている仕事の機能やゴールを考えたときに、その機能をよりよく果たすためには、関係するプロセスの中で自分が今担っている部分がない方がいいようになる流れの中にあると感じることがあります。それは、そのゴール、プロセスといったシーケンス全体で見ればもっともなことなのですが、自分自身の個人の問題として捉えると、職を失うことになるわけで、できればそれを避ける方向にゴールの方が変化しないかな、という気持ちが頭をもたげることもあります。なので、医療とは次元が違うといわれるかもしれないけれど、ほんとは手術しない方がいいことでも、手術をするようになっているのは、手術する人の権益を守るためだとする説明には、とても説得力を感じます。それは、近藤さんがこの本の中でも触れられていたように、外科に対して虐げられてきた放射線医であって、その恨みによる言表である、という批判が仮にあったとしても、感じる説得力に変化はないような気がします。

「障害が出て苦しむのも、障害を抱えて生きていかなければならないのも患者ですから、ここは患者が出しゃばって、線量の決定過程に関与する必要があります。」(p.170)

「患者としては『新しい薬』といわれたら、第一相か第二相試験なんだと、ピンとくるようにしておきましょう。」(p.197)

あと、北澤京子さんの『患者のための医療情報収集ガイド』を読んだときのことを思い出しました。患者の側でこんな厳密に科学的な知識を得るのって、しんどいなー、と思ったのですが、この『患者よ、~』を読んでいると、しんどいとか自分にはムリとか言い訳しているヒマはなく、自分が最期までどう生きるのかに関わることだから、ちゃんと知識をつけて、選択と判断をしなくてはいけないな、という気持ちになってきます。

そうすると、やっぱり、柳原和子さんの言葉が頭の中で響いてきます。

「個別とは、『絶対』もない、ということでもある。すべてを自分で判断しなければいけない。」(柳原和子『がん患者学Ⅲ』p.17)