冲方丁『天地明察』角川書店

この本を読もうと思ったのは、今年の本屋大賞受賞作だったためです。

「この改暦に秘められた思い、そのための膨大な労力、深遠な数理、いずれも理解する者はほとんどいなかったのである。」(p.386)

江戸時代の学者?渋川春海が主人公の暦の改定を描いた小説でした。

私はこの本を、科学と非科学の対立(「神秘についての議論に終始し、その実は、変化への絶対的な拒否を表明している。」p.314)やマニュアルと創意の対立というか、技術とアートの対立(「しかし、退屈です」p.71)を中心に読んだように思います。

「たとえ暦法が優れているからといって、それが通用するとは限らないのだ。」(p.455)

科学的に正しくても、マニュアルから外れた個性的なパフォーマンスが出来ても、それは今まで続いてきたものと違うというだけで否定されるかもしれない。あるいは、単純にそれを唱えたり行ったりする人に対する好悪だけで否定されるかもしれない。

「私にとっての大事は、定石です。天地の定石に辿り着くために、人の定石を守るに越したことはありません」(p.455)

渋川春海は、そういった「正しさ」の中に閉じこもるのではなく、「正しさ」=新しい暦に至るために些事には拘泥しません。改暦を阻んでくる側とは対照的です。

そうやって読みながら見えてくる個人個人の姿は、「歴史」として習い名前だけ頭の片隅に残っている人たちを活き活きとさせます。エピソード記憶というのかもしれませんが、渋川春海関孝和、保品正之、堀田正俊などが同じ頃の人だというのを忘れることはないと思います。そして、読みおわった後では「初め安井算哲として幕府碁所で活動」(『日本史B用語集』山川出版社p.138)という記述を読むと、その碁所でもいろいろあったんだよ、と思わず言ってしまいそうになります。史実とどれだけ合っているかや時代考証のことは全部すっ飛ばしているのだけれど。『るろうに剣心』を読んだ後では、大久保利通が紀尾井坂の変で石川県士族に殺されたんじゃなくて、瀬田宗次郎に暗殺されたんだ、と思ってしまうのに似ている気がします。って、それだと差しさわりがあるのか。

あと、読みながら思い出していたのが、小野不由美さんの12国記シリーズを読んだときのことでした。度量衡や検地の類や税の話など、単純に説明されるだけでは分からないことが、そこで考えている人間をはさんで説明されるとよく見えてきた印象があって、12国記はローファンタジーっぽいハイファンタジーのような感じなのですが、日本史で税の話とか習っているときに読んでいればなあ、と思った覚えがあって、高校生の頃にこの『天地明察』を読んでいれば、もうちょっと江戸時代と仲良くなれていたように思います。

月並みですが、とても面白い本でした。