熊倉隆敏『もっけ』9巻 講談社

もっけ』というマンガの9巻目を読みました。最終巻、完結していました。

「口ばっかりで何も見えてない」

直木賞を受賞した北村薫さんの『鷺と雪』の中で、慧眼を持ち、それは他人から指摘されるほど優れたものなのに、自分自身は何もできないと言っていた登場人物がいました。彼女が確か言っていたのが「見えたからどうだというのでしょう」という感じのセリフです。

「見える」というのは自分にとってのことで、それを他人に伝えたり理解させたりするには、見えたものを物語ることが必要で、それは「口」という一文字で表現できるものかもしれません。

「見える」ことと「口」が違っていて、一人の人間が片方しか持っていないと思っているとき、例えば「見える」人が「見えているのに伝えることができない」と口で言っているうちに「口」の部分が勝ってしまって、実は全然「見えて」いないという風に転換していまうのってなんでなんだろう、と思います。

「見える」というのは分かることにも通じているように思えて、自分が分かるだけで、それを他の人にうまく伝えられないからと言って、自分が見えて/分かってしまうことからまさしく眼を背けてはいけない、というようなことをじわー、と感じる巻でした。

「己の弱さに耐える強さもある」(p.141)

で、「見る」ことがテーマな巻だと勝手に思って読んでいたのですが見続けていてはよくないという風にうまく展開していて、その展開に沿って登場する妖がうまくハマッているなあ、と思いました。

「その火はとても綺麗だけど ずっと見てはいられないの」(p.151)

夏目友人帳』を読んでいてもそうかもしれないのですが、他人に見えないものが妖怪というお話しの中では実は存在するものであるのですが、現実の世界で実際には存在しない概念のようなものや人の心の綾が生み出してしまうものを見る事ができる人とできない人がいて、両者の軋轢はその対象が本当に存在するかどうかが曖昧な点の影響を受けている気がして、お話の中ではその曖昧さが妖怪の実在によって支えられているから見られる人と見られない人の差異を読者が見続けられる程度に和らげているんじゃないのかなあ、と思いました。単純に現実の世界で考えるのが辛いことでもお話しの中に仮託することで対峙しやすくなる、ということなのかもしれないのですが。