デイヴィド・クレイグ『コンサルタントの危ない流儀』日経BP社

この本を読もうと思ったのは、コンサルタントが入っているとか、プロジェクトが完了した、とか言われても、それらの評価ってどうやってされているのか疑問に思うことがあって、数字は好転していないのにプロジェクトに対して「成功」と評価されているらしい雰囲気が流れるのってなんでかなあ、とか思うことがあったためです。邦訳書の副題は「集金マシーンの赤裸々な内幕を語る」となっています。

コンサルタント会社もそのクライアントも、それは支払っただけの値打ちがあったのか、もたらされた現実はコンサルタントの当初の約束通りのものだったのかと問われると、沈黙してしまう傾向がある。」(p108)「経験上、コンサルタント会社のヘマが外部に明るみに出るということは極めて少ない」(p24)「プロジェクトが早期に終結して約束通りの解雇者を出せなかった場合、それはクライアントの経営陣の無能や臆病風、あるいはその両方のせいにして責任をなすりつけてしまえばいい。」(p62)

教育とかでもそうだと思うのですが、やり方じゃなくて、やる人のやる気などのせいにできる面があると、やり方を提供する側は責められることを免れやすくなるなあ、と思います。「スタッフにやる気と能力があり、与えられる指示も適切なら、組織構造なんていくら不細工でも、きちんと機能するものなのである。」(p114)

で、そんなコンサルタントに食い物にされて、結果として会社が悪い方向へ向かわないように、例えば何かプロジェクトがあったときに、それがなにを目指していて、結果としてどうなるのか、といったことを把握する必要があるのかなと思いました。でも、この本に書かれているように、上層部が社内じゃなくてコンサルタントの方しか見ていないとしたら、どうにもならないのでしょうか。「あのアホウどもが何を見るってんだ。俺らがそんなことさせるほどマヌケだとでも思ってんのか、ああ?見んのはあちらさんの経営陣だけなんだよ!」(p56)

この本の著者は元?コンサルタントで、自分が見てきたことを書いているのですが、翻訳のスタイルの影響は分からないのですが、自分が加担したズルことや倫理的にもとることを別段良心の呵責を感じるようでもなく書いていたり、面白おかしく書いていたりして、いやーな感じがしました。この本を読んでいて、「だまされるほうがバカなんだよー(ま、オレは違うけどねー)」って感じの著者の心の声が聞こえてくるような気がして(私の妄想ですけど)、とても嫌でした。