岩岡ヒサエ『花ボーロ』小学館

『花ボーロ』というマンガを読みました。このマンガを読もうと思ったのは、『オトノハコ』の前作?にあたるようだったためです。連作短編風ですが、2つめのお話しが「オトノハコ」というタイトルで、『オトノハコ』の登場人物の一人が掘り下げられていました。以下、各お話しのタイトルです。「教室の兎」「オトノハコ」「学びの庭」「ウチマス」「坂の上」「夜の王国」「悩める先生」「かまとりさんは空を飛ぶ」「童」「花ボーロ」。

「この人は私の声を、聞いていてくれたんだ。」(p118)引用は「悩める先生」からです。先日観た『フルスイング』というドラマのことを結構引きずっていて、主人公である先生は、生徒のことを「未来の○○さん」という風に夢が実現した姿で呼んでいて、生徒各人の夢を知っているということは、生徒のことを「生徒」という抽象ではなく、個人として見ている姿勢を示しているように感じられて、昨日、TVで『HERO』の劇場版をやっていましたが、その中でキムタク演じる久利生検事が大きな汚職という枠組みじゃなくて、傷害致死という、その事件の中で悲しむ「個人」のことを見ているような流れになってて、「声」という言葉は不思議な言葉で文字通り人から発せられる声とは別にうまくいえないのですが「その人のこと」というような意味合いも持つように感じられて、そんな「声」を聞くというのがとても大切なことで、自分がそうされると嬉しかったり、優しい気持ちになれるものなんだなあ、とか考えたりしました。多分『オトノハコ』を読んで思ったことに引きずられてこんなことを思うのだと思います。

「今日の宿題の感想文は、20年後に提出です。」(p86)引用は「坂の上」からです。主人公の先生がお話しの最後に言ったセリフなのですが、これに対して生徒は「なにそれ?忘れちゃうよ。」と応じています。でも、実際に20年経ってみれば、自分の中の昔の自分がふとした拍子に宿題を未来の自分に届けてくれるんじゃないのかなと思います。あの頃分からなかった、先生が坂の上に連れて行く課外授業を行った意図や気持ちとか。「私も変わっちゃうかもしれないけど。茶道を好きだった事は、ずっと変わらないよね。ずーっとね。」(p179)昔の自分と変わってしまった今の自分がいるから、分かるようになることってきっとあるんだろうなと思います。

表題作「花ボーロ」に登場する少女は、友人の顔色のことを気にしています。体調が悪いのではないかと。このマンガに登場する人たちは、人の声に耳を澄ましり、顔色を気にしたり、みんな他人に気を配っているようで、そんな何気ない感じがいい感じで、やさしい気持ちになれます。