井上章一『美人論』リブロポート

この本を読もうと思ったのは、美人って得してるよなー、と思ってしまうことがあって、でも昔は「美人」の基準が違ったとかなんとか聞くこともあって、そうすると、やっぱり「美人/不美人」をめぐる言説の変遷なんかに興味を持って、で、この本がそれをズバリ扱っているらしいことをどっかで聞くか読むかしたためです。

「なにかをいえば、かならず不自然になる。だから、平等性をキープしようと思えば、沈黙をまもるのがベストなのである。」(p246)

「美人/不美人」に関する言説の変遷を追っているのですが、言説としてそう現れたからといって、実際にそういった人が「美人」として捉えられていたかというと、そうではなくて、言説の変遷は、「美人/不美人」という差異が確固として存在することを前提として、「不美人」をはげますためにつかれたウソの変遷に過ぎないように感じられる本でした。逆に、変遷を読むことで、隠蔽されている「美人/不美人」という差異が浮かび上がるというか、くっきりと感じられるように思いました。「倫理の言葉は、ウソをついている。不美人をはげますために、善意のウソをついている。ウソのつきかたこそ、明治のころとちがっているが、現実的でないことにはかわりがない。」(p109)

そういったウソは「不美人なんかどこにもいない、女はみんな美人になれるんだ」(p192)といった風に美人の範囲をひろげ、不美人の範囲をせばめていくそうです。その瞬間瞬間で、美人の範囲をひろげる言説をつくるときには、逆に不美人のことをそこで語られる美人ではないものとして前提して、不美人の範囲をせばめるときにも、そこで言われる不美人ではないものとして「美人」を見てしまうかもしれなくて、円環を成すようにして語るということが「美人/不美人」という差異を生成しているように感じられて、冒頭に引用したように、「沈黙を守るのがベストなのである」(p246)ということになるのかもしれません。