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『おくりびと』

おくりびと』という映画を観てきました。この映画を観ようと思ったのは、CMで広末涼子さんが空か川かを見ているシーンが印象的だったからです。

故人を納棺する人のお話しでした。

「美人なのに」一番最初の納棺のシーンで、主人公はこんなことをつぶやいていました。亡くなった人は練炭自殺をしたようでした。『百万円と苦虫女』の中で主演の蒼井優さんが恋人に対して自分と付き合っているのは、お金を持っているからでしょ、と責めるシーンがあります。そのとき、美人な人でも自分に自信がないというか、そんな風に感じることがあるのかなあ、と思ったりしたのですが、なんとなく、美人な人は自殺をするような要因というか、多分、悩みのようなものを持っていないという前提というか思い込みのようなものが表れているようなシーンでした。

「この人みたいにこんな仕事をずっとして償っていくのか」ある女子高生が多分、交通事故で亡くなって、事故を起こしたと思われる男子高校生に対して遺族が主人公のことを指しながら言ったのがこんな感じのセリフでした。納棺という仕事に対する思い込みが表れているシーンでした。

人が亡くなったときの諸々の儀式などでは、いろんな人のいろんな前提が表れるような気がして、印象的でした。

冷たい、重い。私は遺体に対してこんなイメージを持っています。遺体自体も重たいし、入った棺も重たかったです。もう亡くなっているのに、重みが感じられると、この人は一体どこにいってしまったのだろう、と思ってしまいます。前に冬だったのですが、同僚の手に偶然触れたときに本当に冷たくて、その人がどこか遠くに逝ってしまうように感じられたことを思い出します。人の死を見たり、連想されたりすると、どこに行くのだろう、という感じを受けます。

この映画を観ていて、水が映っているシーンがとても気になりました。川だったり、銭湯の湯船だったりするのですが、なんで人は川をぼーっと見てしまうのだろう、と思います。忘れてしまうのは、レテ川だったでしょうか、「空に吸われし十五の心」は石川啄木だったかと思うのですが、空だけじゃなくて、川も人の心の何かを流してしまうように吸い取っていくのだろうか、とぼーっと思いました。

あと、舞台挨拶の様子がTVで流れていましたが、主演の本木雅弘さんがこの映画をみたときの年代によって感じることが変わってくるという感じのことをおっしゃっていました。故人を納棺するシーンを見ていて、観客にはいろんな世代の方がいる雰囲気だったのですが、みんな自分自身が経験した人の死のことを連想しながら見ているような感じがして、多分、大半の人は多くの人を見送って自分が死んでいくと思うのですが、見送った経験が映画を観たときに感じることに変化を起こすように思われて、ほんとにみたときの歳によって受け取ることが変わってくるなあ、と思いました。