サーシャ・アイゼンバーグ『スシエコノミー』日本経済新聞出版社

この本を読もうと思ったのは、どこかでこの本の紹介を読んで、そこでは、スシを通じてグローバル経済がみえてくるって感じのことが書かれていて、読んでみようかな、と思ったためです。

「客は板前とマグロとの関係は商売を超えた交流であるという虚構を信じたがっている。板前はグローバル経済が抱える矛盾などどこ吹く風といった物腰で魚をスライスすることが期待されているのだ。」(p194)この部分を読んだときに、ふと思ったのが銀行の窓口とATMとの違いです。人が応対してくれる窓口で待たされたり、人が並んでいると、どうでしょうか、窓口にいる職員さんの手際と、そのお客さんとどっちに気をとられるでしょうか。つまり、自分が待たされているときのイライラのようなものが向いているのはどっちでしょうか。逆にATMのときは、先に使っているお客さんが何か手際が悪いことをしているかのようにイラついたりしないでしょうか、って勝手な思い込みですが。で、そのときって、ATMを使うように仕向けているのも銀行側だという考えを忘れているように思います。

この間、『かもめ食堂』を読んだときに、自分が食べているものと、それを作った人が「見える」かどうかの影響のようなものを考えたのですが、板前さんでも、シェフさんでも、その人が見えることで、「信用」という言葉が使えるかもしれないものを媒介にして、例えば、自分の口に入る魚の後ろ暗い部分を知らなかったことにできるのかなあ、と思いました。

「たいていは卸が間に入って分断されている領域だ。」(p311)板前さんもその魚を手に入れるまでには、というか、板前さんにたどり着くまでに魚はたくさんの卸を通過しているし、そのそれぞれについてあまり知っていないかもしれなくて、この本のある部分でロンダリングという言葉が使われていましたが、グローバル経済というのは、いろんなものが正体不明になっていくことも含むのかなあ、と思ったりしました。