『夕凪の街 桜の国』

この映画を見ようと思ったのは、監督さんが『トップランナー』という番組に出ていた回を見たからです。そこでおっしゃっていたのは、正確でないのですが、戦後生まれの自分にできるかなと思ったけれど、戦争のときのことが現在とのつながりで描かれるので、それだったら自分でもできる(部分があるんじゃないか)という感じのことで、とても印象的でした。

原作はこうの史代さんの同名マンガですが、何年か前にえらい話題になったことがあって、そのときに読んだのですが、細かい部分は忘れていて、どこまで映画が忠実で、どこから映画オリジナルなのかということはちょっと分かりませんでした。

映画の中で印象的だったのは、「夕凪の街」のパートでの主人公の母親の表情です。主人公が会社を病欠するシーンで、同僚が二人訪ねてくる場面があるのですが、その同僚の一人が帰っていくときに涙ぐんでいます。お母さんは、来てくれてありがとうという感じのことを言っていますが、演じている藤村志保さんの表情が、なんと言うか、同情して泣けるってことは自分のことじゃないからで、せんないこととは言え、(被爆者である)自分の娘とそうでない同僚を比べて(ちょっとうらめしいような感じがして)しまっているようなもので印象的でした。

この映画を見て思い出したのが、何年か前に見たTV番組で、ノーマ・フィールドさん(『天皇の逝く国で』の著者さんです。)がある女性と対談しているものだったのですが、その女性は在日米軍と日本人女性の子で、父親が在日することになったのは、戦争の結果のひとつで、そう考えると、戦争がなければ、自分が存在しなかったかもしれず、戦争の悲惨さを思うと、自分自身の存在に対してジレンマを感じてしまうようで、そのことが辛いといったことをおっしゃっていたと記憶しています。

映画の中で「夕凪の街」の主人公は、原爆は落ちたんじゃなくて、落とされたんだと言い、最後に被爆してから13年かかって自分は死ぬけれど、目的を達することができて嬉しいですか、と原爆を落とした人に問いかけています。その前提にあるのは、自分は(原爆を落とすことにした人に)死んで欲しいと思われた人間だという考えで、とても印象的でした。

仮に未遂に終わったとしても、多くの人を殺そうとした「殺意」はいつまでも尾を引くものではないのか、以前プレーモ・レーヴィさんの本を読んだときにアウシュヴィッツを生き延びた人もやがて自殺してしまう人がいると書かれていたことが引っかかっていて、その影響かもしれませんが、なんとなくそういったことを考えてしまいました。

監督さんはテレビの中で、映画を見終わって、一緒に見た人と少しの時間でも何かを話し合ってもらえるといい、という感じのことをおっしゃっていました。ちょうど時間帯のせいか、私が見た回は貸切だったのですが(映画にあまり行かないので分からないだけかもしれないのですが、平日のお客さんの入りってこんなもんなんでしょうか。)なんか、こういったことを話題にのせることってウゼーとか言われて忌避されるような気がするのは世の中に対する偏見でしょうね。