遠藤秀紀『パンダの死体はよみがえる』ちくま新書

この本を読もうと思ったのは、積読本を減らすためです。

「遺体科学」を提唱(?)されている解剖学者さんが自身の解剖の過程を綴りつつ、学問でのイカンやろーってことや外国での遺体の取り扱いなどを書かれた本のようでした。

一番最初の部分で、ゾウの解剖シーンが実況中継風に記述されているのですが、私の頭の中でイメージされたのは、マグロの解体ショーのゾウ版で、やっていることの大小はあるのでしょうが、マグロとか魚だと食欲をそそるのですが、ゾウだとなんか厳かというか、大変なことをしていると感覚的に思って、食料と見ているか、遺体と見ているかの違いって、そういった感覚的な部分から分かったりするのかなあと思いました。

遠藤さんの記述の仕方が、専門用語を初めて使うときに、ことわりがあったりして、素人に優しい感じがして、安心して読めました。「東南アジア諸国にはアメリカ人やイギリス人のチームが発電機を持ち込み、多数の現地人を雇用しながら研究することがあるのだが、私の旅はどうもそういう贅沢とは馴染まない。」(p131)以前、『プロフェッショナル』というTV番組に隈研吾さんが出ているのを見たことがあって、「負ける建築」というのが隈さんのキャッチフレーズのようなのですが、建築するに際して、制限を見つけて、その中でやるのが「負ける」ということのようにおっしゃっていたと記憶しています。不利な状況があれば、それを克服するのが進取の気鋭というか、今の流行のように勝手に思っていますが、不利な状況を受け入れて、それでどーするかという仕方だってあるわけで、遠藤さんの記述を読んでいると、なんとなくこっちのほうのスタンスのように感じられて勝手に好感を持ってしまいました。

「目的を掲げたとき、研究者は必ず遺体を捨てる道に入る。」(p201)その理由は「自分の研究テーマだけが重視され、隣でどんな動物が絶命していようが、その学者にとってその遺体は生ごみ同然になるからである。」(p200-1)となっています。遠藤さんは、来る遺体拒まずで、その遺体が抱えている謎に耳を傾ける、というか「目」を向けるようですが、そういった態度と自分がやっている仕事でのことを勝手に関連付けて考えてしまって、ちょっと思うところがありました。

パンダがどうやって笹をつかんでいるのかとか、面白い本でした。