ミープ・ヒース『思い出のアンネ・フランク』文藝春秋

この本を読もうと思ったのは、『幸福に驚く力』の中で触れられていて、戦時中、アンネ・フランクに象徴されるユダヤ人の人々が潜伏生活を送れたのは、それを支える人々がいたからであって、その人びとも特定の一人というのではなくて、その中の一人に協力する一人、そしてその協力する人に協力する人という風に幾重にも輪のようになっている人びとの存在が大きかったんじゃないかという視点が気になったためです。

ミープ・ヒースさんは、フランク一家の潜伏生活を大きく支えた人のようでした。彼女の幼い頃から始まって、戦争が「終わる」まで彼女の視点で書かれた本でした。正確にいうと、ヒースさんはお話しをして、アリスン・レスリー・ゴールドさんが聞き書きをしたようでした。

「久しぶりにみんなの心に希望の灯がともった。ラジオを通じて、ヒトラー暗殺計画があったというニュースが流れたのである。」(p70)「ソ連に侵攻したドイツ将兵が、雪あらしのなかでばたばたと凍死している、さらに北アフリカ戦線では、炎熱の砂漠のなかで同様に死んでいっているというニュースを聞くと、わたしはしぜんに動悸が速まり、気分が高揚してくるのを覚えた。」(p194)普段、生活していて、嫌な人や悪い奴だなと思う人でも、その人が死ぬことを考えると、それでも悲しむ人がいるような気がして、人が死ぬことを考えることはいけないことのように感じてしまいますが、人の死を心底望んだり、喜んだりする状況というのは、どういう状況なのだろうと思って、月並みな表現ですが、戦争はむごいと思いました。

「わたしは三十代なかばを越えていた。子供の産める時期は急速に過ぎようとしていた。(略)戦争ちゅうのあのみじめな時代に、わたしたちの子供がその苦しみに堪えなくてすんだのは、むしろよかったと思っていた。」(p338)戦争が終わったあとの箇所でこう書かれています。人の死を喜ぶこととともに、人が生まれてこなかったことまで、むしろ良かったと思ってしまうなんて、戦争は怖いと思います。

ひとつ思うのは、戦争が終わったあとの箇所で、フランク一家を「売った」犯人探しが行われたことに触れられているのですが、その犯人探しは『アンネの日記』が世界的なベストセラーになったことと関係しているように書かれていましたが、そこで犯人を捜している警察の態度に吐き気を覚えるということです。訳者あとがきでもこの本について「『アンネの日記』と合わせて、戦争の真実と教訓を示す貴重な証言として、長く読みつがれてしかるべきものだと考えます。」(p363)とされています。うまく言葉にできないのですが、私は、こういった考えかたに違和感を覚えます。

アンネの日記』を読んだのは高校生の頃でしたが、その中では、自身の二次性徴についてや、同居している男の子に対する恋慕とも言える感情についてなど書かれていたと記憶しています。そのとき思ったのは、彼女は、自分がこうやって書いていたものが世の中の人々に読まれることを望んだのだろうか、ということでした。まして、戦争を伝える聖典のようなものとして。と、言っても『アンネの日記』もこの本も読んで戦争って怖いよね、なんて言っている私にはこんなことを言う資格なんてないのかもしれませんが、こういった人たちの経験を利用しようとしている存在があるような気がして、そして、そういった存在は、例えばこの本の中で描かれているナチスと同じような構造に支えられているのではないかと思われて、どうしても気になってしまいます。

「人間とは思ったほど変わらないものなのだ。」(p344)