田中淳夫『割り箸はもったいない?』ちくま新書

この本を読もうと思ったのは、会社の同僚のオススメ本だったためです。

アル・ゴアの『不都合な真実』に始まって、それへのアンチ的な『環境問題はなぜウソがまかりとおるのか』など、環境問題を扱った本がまたまた流行の兆しを見せていると勝手に思っていますが、どっちかというと「環境(自然)を守りましょう!」より「『環境(自然)を守りましょう!』は実はウソちゃうん」ってスタンスの方がうけている気が勝手にしていますが、この本は、後者のスタンスで、身近な割り箸を扱って書いてある本でした。

田中さんは、割り箸を使うのが好きなようで、割り箸がイカンという考えは別にいいんだけど、それを押し付けてくるのは違うんじゃないかと思っていて、押し付けてくる人は感情的理由からで、ほんとは環境負荷とかのことを分かってないんじゃないかって感じで書かれていました。「彼らの言い分を整理すれば、箸を持ち歩くのは、自分は熱帯雨林破壊に関わっておらず、資源の浪費をしていない、少なくとも加担したくないという意思表示のようである。いわば免罪符的な役割を担った精神的なお守りである。」(p121)

こういった文章を読んで思うのが、自分の自動車に対する関係です。私は、ペーパードライバーなのですが、単純に運転するのが怖いという面もあるのですが、車を運転することで排気ガスによって環境破壊に加担していると思ってしまうことへの心理的影響があるようにも思えて、でも、自分で運転しなくても公共交通機関は平然と利用するわけで、結局排気ガスの存在によって自分が移動していることは否定できないわけで、カープーリングとか、アイドリングストップとか、パークアンドライドとか色々ありますが、そのそれぞれについてトレードオフの関係になっていることってないのかなあとか思って、本当の理由は薄々わかっているのですが、自分が運転しないことって、仮に環境保護を言い訳にしようとすると、無理が生じるかなあとか連想していまいました。「結局、どんな行為でも、そこには必ず利益と不利益が生じる。片方だけを取り上げるのではなく、両者を比べて、どちらが総体として有利か十分に検討する必要がある。」(p191)

この本の中で、気になったのは、数字の出所がはっきりしない部分がいくつかあることです。「熱帯諸国の木材輸出量に占める割り箸用の木材の比率は、一九九〇年度の数値で見るとインドネシアは〇・八%、フィリピン〇・六%、マレーシア〇・〇〇〇三%。逆に日本から見て、消費する木材に対する割り箸相当分の木材の量は、〇・三%である。問題にするのがいかに馬鹿らしいかわかるだろう。ほとんど誤差範囲だ。」(p123)例えば、この箇所の数字の出所が分かりません。あ、あと、今引用のために写していて気がついたのですが、なんで90年度の数字なんでしょうか。17年前の数字ですが。って、こんなイチャモンを思いついてしまうのは、『メディア・バイアス』の中で、有機農業の人が有機じゃないものを批判するときの感覚が20-30年前の非有機農業を想定しているって感じの記述があって、それの受け売りに過ぎないのですが。

割り箸廃止論やマイ箸推進に異を唱えるのに、使い捨てがいかんという印象論じゃないかという構成をとっているので、「本当は違う」ことを示す部分では、数字の出所がはっきり分かるようにして欲しかったなあと思います。

あと、「木材は、生長する際に大気中の二酸化炭素を吸収しているから、燃焼時に二酸化炭素を排出しても差し引きゼロだ。」(p129)として「カーボンニュートラル」という考え方があるらしいのですが、割り箸反対派(の一部?)はこういった考え方や「ゼロエミッション」という考え方を知らないのだろうと述べています。(p114)光合成の仕組みや燃焼の仕組みを知らないので、なんとも言えないのですが、生長の過程で植物に固定される炭素と燃焼の際に大気中に出て行く炭素って量としてバランスするんかなあと、素朴に思いました。