L・H・スミス『児童文学論』岩波書店

この本を読もうと思ったのは、名前だけはいろいろなところで目にしていたのですが、『幸福に驚く力』の中で古典として言及されていて、読んでみようかなと思ったためです。

日本語のタイトルから感じられるような、大上段から「児童文学はこうあるべきだ」と言われる大学とかのつまんない講義のような内容ではなくて、子どもにとっていい本とはどういった本なのかということを、実際に子どもに支持されている本の考察を通じて解き明かしていこうという感じの本でした。

「『キツネのずるさ』がテーマであるならば、子どもたちは、ストーリーのなかで、キツネはずるいものですよなどと言ってもらいたくはあに。ストーリーのなかで、キツネがわるがしこさを発揮するさまを、自分の眼で見たうえで、自分の心にキツネの性格を描き出したいのである。」(p51)私は、もう「子ども」と呼んでもらえない年齢ですが、自分が本を読む場合でも、同じように思います。だから、例えば、「関西弁がうまいのは関西人だから当然」と書いてもらうのではなくて、作中の人物の話す関西弁が自然なものであることで、ああ、関西の方なんだなあと思わせられるようなお話しの方がいいです。(ちょっとしつこいかも)

また、「他の人びとに興味をもたせる第一の要件は、自分自身が興味をもつことと知るべし」(p152)という言葉がウォルター・ペーターさんのものだとして引用されていました。児童図書を読んでいない児童図書館員というのは、いないとは思うのですが、本を読んでいない書店員はいそうだし、他の職業でも、自分が商っているものに興味がないことってあるような気がして、自分の興味があることを人にすすめることのできる立場にいる人って幸せなのかなあとか思いました。

「幼児と絵との関係は、まずその絵からストーリーをくみとることにある。」(p205)この箇所のあとにコールデコットの挿絵がのっているのですが、その絵が地の文以上にストーリーを語っているのが本当によく分かって、前に何かの絵本(『わたしとあそんで』だったかもしれません)を読んだときに、地の文に一回も登場しない存在がずっと主人公と一緒にいることが絵には描かれて、もし、子どもが絵からストーリーを読み取っているとしたら、言葉にされなくても、一人じゃないということを感じることができるのかなあと思ったことを思い出しました。

この本を読んで思ったのは、ニュベリー賞やコールデコト賞、ガーディアン賞などなど、子ども向けの本に関する賞っていくつかあると聞いたことがあるのですが、その受賞作はどれくらい時の試験に耐えているのだろうということです。いくら大人が子どものためにいいと認めても、当の子どもたちが読んでつまらなければ、もう二度と手にしないだろうし、そういった本は残っていかないだろうからです。そう思うと、ニューベリー賞とか聞いて読んでみようかなと思う自分の安易さを反省しました。