巽孝之[編]『日本SF論争史』勁草書房

この本を読もうと思ったのは、アーシュラ・k.ル=グウィンさんや清水眞砂子さんの本を読んでいて、児童文学というか、そういったものに携わる人が自分が携わっているジャンルに対する考え方とかを読むのは面白いと思って、グウィンさんの名前は、むかし小谷真理さんが翻訳した『テクスチャル・ハラスメント』という本の中でも見たことがあって、小谷さんといえば、SF中心の批評をする人という印象(実は巽孝之さんの奥さんという印象も持っていたりしましたが)があって、SFというジャンル(←そういっていいのか分かりませんが)にまつわるお話しを読んでみるのも面白いかなと、つらつらと連想したためです。

タイトルの通り、SFに関係する言説というか論考が時系列っぽく並んでいて、巽さんの解説が入っている本でした。一番印象的だったのは石川喬司さんをとりあげた項でのハインラインの『宇宙の戦士』論争でした。

ものすごく乱暴に言って、『宇宙の戦士』からハインラインさんがファシズムに傾倒しているんじゃないかと思われて、小説自体の受容に関しての論争のようでした。

あるお話しに含まれる政治性やイデオロギーが問題となるときは、その受容者(読者)に影響があることが前提になっていると思うのですが、SFとは別ですが、いわゆる「現代思想」と呼ばれるものの中で使われている科学の知識や用語がデタラメであるという論争があったのですが、その中で、そういった誤った科学知識は一般の人に対して害をなすという「リスクの民主化」が行われていたことが思い出されて、でも「現代思想」にしろSFにしろ、そこで被害者として前提されてしまう「一般の人」や「素人」という人たちに対する影響って実際のところどのくらいあるのだろうと思ってしまって印象的でした。

そういったことを考えながら読んでいたら、最後の大原まり子さんの箇所で「わたしにとって、SFとは、まず一番に、『世界のあり方の認識を変更させるもの」である。」(p366)とした上で書かれた次の一節に行き当たりました。「世界に今ある価値観は、変更可能なものである という認識に、わたしは、たまたま五十年代海外SFによって到達したのである(これはたとえば、歴史の本でも哲学書でも文化人類学の研究書でも、起こり得たのかもしれない)。」(p367:下線引用者)SFがどうかは分からないのですが、「現代思想」というマイナなものの中で言われていると影響力は低い気がするのですが、多分、影響力の存在は否定されなくて、影響を受けた「人」が持つ影響力の多寡って分からなくて、あなたにも害が及ぶかもしれないという「リスクの民主化」が説得力をもつのって、陳腐ですが、そういった予測不能性に前提されているからかなあとか、思いました。

とても面白い本でした。