山本弘『審判の日』角川書店

この本を読もうと思ったのは、山本弘さんの本だったためです。短編集でした。以下、タイトルです。「闇が落ちる前に、もう一度」「屋上にいるもの」「時分割の地獄」「夜の顔」「審判の日」

「それでもまだ納得できない部分があった。どうしてみんなあっさり少女に殺されてしまったのだろう。小学生の子供はまだしも、壇上氏や田尻氏はなぜ抵抗しなかったのか・・?」(p81)「屋上にいるもの」の一節です。主人公はこのすぐあとの部分で納得することができているのですが、私は、死体が発見された場合と、発見されなかった場合の違いが気になって、主人公が納得できたのも、男性であるという部分が大きかったのではないのかなと思いました。

「小説は二万一二二〇冊読みました。歴史書とかノンフィクションが九八六五冊。理工系が三〇四〇冊。マンガが五二三五冊。それ以外にもいろいろと一万冊以上」(p98)「時分割の地獄」の中であるAIが言っているセリフです。一日一冊読むとして365冊。100歳まで生きるとして、最高でも36500冊しか読むことができません。お話しの中の、しかもAIだと言っても、羨ましくて仕方ありませんでした。

「私たちは普段、あいつに出会わないけど、出会わないことに理由なんてありません。」(p175)「夜の顔」でのある女性のセリフです。私が小学生だった頃、人面犬というのが流行ったことがあって、顔がおじさんで、胴体が犬というものなのですが、子供心に、もし下校途中とかで一人のときに遭遇したらどーしようと怖かった記憶があります。そのとき、遭遇談とか語っている人も自分は出会わないと思っていたのかなあとか考えていて、自分は出会わないと思うことはできるし、実際これまで遭遇していないけれど、そういったことに理由はないんだとぼんやり実感していた気がして、回顧的に作っているかもしれないのですが、それでも人面犬に限らず、世の中で他人事だと思っている不幸なことや不条理なことも自分に起こらない理由はないのだと思っていた気がして、そういった意味で当時から何かしら不安感というか、恐怖感を感じていたような気がして印象的なセリフでした。

「人間っちゅうのはみんな、自分だけは賢いと思っとるもんよ・・」(p242)そういう人自身、自分を「賢くない人」というカテゴリから除外しているんじゃないかとして、傲慢さを批判することは簡単なのですが、この「傲慢さを批判すること」自体が自分を「傲慢である」というカテゴリから除外する(と前提する)ことを含むかもしれなくて、黙るしかないのかなと思います。フランキー堺さんに倣って言えばいいのでしょうか。「私は貝になりたい。」