D・R・ホフスタッター、D・C・デネット[編著]『マインズ・アイ』上 TBSブリタニカ

この本を読もうと思ったのは、この本も『神は沈黙せず』の参考文献にあがっていて、興味を持ったためです。

多分、SFや論文などから編集されていて、その文章に対して編著者の解説というか、短評が付いている本でした。

「私が他の誰かだったとしたら、どんな私だったのか。そうではなくて、他の誰かが私だったとしたら。それとも、私は他の誰かなのか。他の誰もが私なのか。」(p66)映画『マトリックス』でエージェント・スミスは、マトリックス内にいるいろんな人の目を通じて、ものを見ることができて、その人になることができるように描かれていたと思うのですが、そういったことなんかと通じるような気がして、意識や心や「私」をめぐるお話しって、むかしから変わらないのかなあとか思いました。

印象的だったのは、第7章「動物マーサの魂」です。動物の脳に電極のようなものをつけて、発生する電気などから、「言語」として翻訳するようなお話しなのですが、何年か前に、赤ちゃんが何を考えているか言語として捉えようとする研究をTVでやっていたことを思い出したためです。たしか、犬の鳴き声を人間の言葉に翻訳するような機械のお話しをどこかで聞いたのですが、人間と同じ言語を話せないことで、意識がないとか前提してしまうことについて考えてしまいました。この間読んだ、レーヴィさんの本では、収容所でドイツ語を話せないことの不利について書かれていたのですが、「言語」じゃなくても、例えば、難しい思想や哲学、考え方を理解できないからといって、その思想や哲学で言おうとしていることを理解できないかというと、そうではないような気がして、哲学や思想とは別の「言語」で捉えていることもあるんじゃないのかなあと連想しました。

「われわれが死ぬ時、後世に残すことのできるものが二つある。遺伝子と模伝子である。」(p210)これは、ドーキンスさんの文章なのですが、子どもを残すことができなくても、何か残せると考えられると、なんか、自分が生きたことにも意味があったのかなとか思えて、少しは救われるのかなあと文脈無視の感想を持ちました。

最後に、p233の絵は傑作だと思いました。