藤子・F・不二雄『パーマン』1巻 小学館

パーマン』の文庫版の最初の巻を読みました。読もうと思ったのは、『ドラえもん』をちまちまと読んでいるのですが、最近、最相葉月さんが『星新一』という本を出版されましたが(読んでいませんが)、『ドラえもん』と星さんのショートショートのSFってなんか通じるところがあるような気がして、『ドラえもん』は未来の技術だけど、『パーマン』は宇宙の技術だったなあとか思って、読んでみようかなと思ったからです。

「なったからにはがんばらなくっちゃな。」「ぼくにできるはんいで。」(p21)これはみつ夫くんがバードマンからバッジをもらってパーマンになったときに言ったセリフなのですが、ここで自分にできる範囲でと思っている点がなんとなく好きでした。

パーマンになるにはマスクとマントをつけるのですが、たったそれだけなので、悪者に変身セットをとられてしまって、悪者が強くなってしまってピンチというお話もあります。最初、バードマンはすんごい適当にパーマンになる人を選んだように描かれていますが、その点、きちんと悪い人(2号は猿なので、人とは限らないのですが)を避けていたんじゃないのかなと思ってしまいました。

エピソードが結構考えてしまうものが多くて、例えば「脱獄囚とおばあさん」では、おばあさんの息子さんが警官だと知った脱獄囚がおばあさんを始末しようと思っているのですが、ダムを作るための放水からパーマンによって救われることで、うやむやになっています。もし、放水がなければ、おばあさんは脱獄囚に殺されてしまうわけで、パーマンがもし来なかったらとか考えたときの展開がとても残酷なものが結構あって、このマンガを読んでいる「子ども」はそういったことを想像して(想像しなくても、なんとなく不安な感じを受けたりして)毎日の生活の中で怖くなったりしなかったのかなと思いました。

あと、パーマン3号は女の子なのですが、1号(ミツ夫くん)となんか(痴話?)ケンカみたいなことをしょっちゅうやってて、その中で、ご飯を作って掃除もしてくれないかなあみたいな展開になったときにアビケンナじゃなくて、「ふざけんな!!」(p204)と言っていたりして、思わず笑ってしまいました。

この巻を通じて印象的なのは、ミツ夫くんの正義感なのですが、パーマンセットなしのミツ夫くんはさえない男の子ですが、正義感は身体的な能力には関係なくて、仮にパーマンになれなくても持っていると思うので、さえない男でも侮ってはいけないのは、実はパーマンだからではなくて、そういった正義感を持ち合わせているからのような気がして、昨日読んだ清水眞砂子さんの本に、子どものための文学の条件として人生を肯定するようなものでないとだめだって感じのことが書かれていましたが、こういう風に描かれるミツ夫くんを見ると、どーせ世の中なんて、と思うのじゃなくて、パーマンみたい力はなくても気持ちとして「正義」といったものを信じられるような気がして、そういった意味で『パーマン』は子ども向けのものだと言えるのかなあとか妄想しました。

最後に、このマンガにコピーロボットという存在が出てくるのですが、この存在のことがとても気になっています。