清水眞砂子『幸福に驚く力』かもがわ出版

この本を読もうと思ったのは、『おいしい本箱Diary』というブログの記事でその存在を知ったためです。清水眞砂子さんは、『ゲド戦記』の翻訳者ですが、こないだアーシュラ・k.ル=グウィンさんのエッセイを読んで面白かったので、それもあって読んでみました。

「作家が自分の書いたものについて意味を語ると、作品のもつ豊かさの何分の一かしか語られないことがある。作家自身が意識していない豊かさがどっさりあるんですよね。それは読む人によって意識化される。」(p230)この部分がとても印象に残りました。と、いうのも、最近、山本弘さんの小説を二つ読んだのですが、その中でこの箇所のようなことが書かれていたからです。

清水さんの場合、エッセイというか公演集なので、言っていることを清水さんが(少なくともその時点では←こういうただし書きを入れるのは、本文中で清水さんが自分たちの書くものは排泄物のようなもので、むかしに書いたり言ったりしたことをもちだされてもなあ、って感じのことを書かれているからです。)「本当に」思っていると前提してもいいかと思うのですが、山本さんの場合、小説という形なので、作中で登場人物が言っていることの中身に対する作者のコミットメントの程度は分からないのですが、そういった言葉を書いたり言ったりした人がその中身を信じていようがいまいが、理解していようがいまいが、例えば「作者が理解していないことを読者が理解する」といった形で考え方というか、作中の言葉を借りれば「物語」は残っていくような気がして、正しいか正しくないかということではなくて、言葉として形にされた時点でそういった「物語」(個人的に言説といってもいいかと思いますが)は生き延びていくような気がしました。

もうひとつ、とても印象的だったのは、ショーペンハウエルの『読書論』に「読書とは怠け者のすることである」と書かれているといって「私たちはそれを借りながら考えている。他人の頭で考えてもらっている、まさにそうなんですね。」(p59)と結んでいる部分です。また、別の部分では「本を読むこと=善、あるいは本を読むと人は賢くなる、と考えることには『ちょっと待てよ』とひとまず距離をおいておきたいと思います。」(p91)と書かれていて、自分自身、そう思っている節があったので印象的でした。って、清水さんの文章を引用して、私もそー思ってましたって書いてることが「怠け者」なのですが。

とても面白い本でした。