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『時をかける少女』

時をかける少女』というアニメをみました。このアニメを見ようと思ったのは、昨年、劇場で公開されたときにえらい評判が良かったようなのですが、見に行こうかなと思ったときには、もう近場で公開が終わっていたので、DVDで見てみました。

タイムリープものでした。詳しいひとに言わせると、タイムリープとタイムスリップは違うらしいのですが、私はゆるいので、あいまいに捉えています。高畑京一郎さんが『タイムリープ』という小説を書かれていますが、その中では、確か、ある一定の(閉じられた)時間(お話では一週間だったと思います)内で、跳躍をする人には、時間がリニアではなく、アトランダムに流れるというものだったと思います。で、『時をかける少女』ですが、私は筒井康隆さんの原作を読んだことはなくて、原田知世さん主演の映画を見たことがあるだけなのですが、それとは、違っていました。

時間跳躍ができるので、いろいろなことを回避できるのですが、主人公の女の子が最初に跳んだときに回避したことって、「彼」にとっても、回避したいことで、仮に彼女が跳ぶことができなかったとしたら、「彼」はどういう行動をとったのだろう、とそんなことを思ってしまいました。

クライマックスは川辺のシーンなのですが、そこを見て思ったのは、本当のことであっても、そして、それが本当のことだと分かっていても、聞きたい言葉を聞くことができないことってあるんだなあということです。なかったことにしたことの「時間」では聞けたことも、聞けなくて、反復されることの中に埋没してしまうと、本当らしさも失われるのかなと思いました。で、こんなことを考えていて連想するのが、『100万回生きたねこ』のことで、私は、ねこが最後に死んでしまった理由をいまだにはっきりと言語化できないのですが、なんとなく、そーいうことなのかなあと思いました。

個人的にグッときたのは、女の子が最後のタイムリープをするシーンで、挿入歌も良かった(坂本真綾さんの『マメシバ』を勝手に連想してしまったのですが)し、なんか、人の想いのすがすがしさが感じられて良かったです。って、単純に「青春」ってことかもしれませんが。

自分が高校1、2年生の頃に、このアニメを見ることができていたら、きっと将来に対してもっと前向きになれたんじゃないのかなと思います。