若竹七海『サンタクロースのせいにしよう』集英社文庫

この本を読もうと思ったのは、またまた積読状態の軽減のためです。

この本は短編連作のいわゆる日常性のミステリでした。お話しの冒頭で主人公は、3年半の恋愛に終止符を打ったことになっていました。彼女の年齢が今の自分にすごく近くて、この年で終わってしまうのって、次を探すエネルギーのこととか考えて、ちょっと辛くないのかなあとかいろいろ考えてしまいました。

「巡りあわせの悪さ、運の悪さにやつあたりができれば、どんなにひとは気楽になれるだろう。でもそういうわけにはいかないのだ。誰かのせいで、自分がこんな目に陥っているのだとわかれば、憎む相手がいれば、ひとは安らかに眠れる。けれど、そんな幸運にはなかなか巡りあわない。今の世の中に悪意ほど弾劾されるものはないからだ。(略)客観的に見てどんなにひどいことが行われようとも、悪意がないことが一種の免罪符になりうるのだ。」(p170)引用は「虚構通信」からです。昨日(だったかな)『DNA伝説』を読んだときに書かれていた「生まれか育ちか」のディレンマってこんな感じだなと思いました。ただ、免罪符となるためには条件はもうひとつ必要な気がします。当人がそのことに罪悪感を感じているという条件です。表題作「サンタクロースのせいにしよう」は文字通り、サンタさんのせいにすることでお話は終わるのですが、サンタが表象するある種のイノセンス(つまり悪意のなさ)とこの話数の「犯人」が罪悪感を感じていることがサンタにせいにしてしまってもよいという印象を与えていると思います。

「あなただけを見つめる」の中で自分の名前を呼ぶ声が故人に似ているというシーンがあるのですが、昨日テレビで見た『TUBE』という映画の中で女性のスリが想いを寄せる刑事から名前で呼ばれて、何事かを感じるシーンがあったことを思い出しました。慣れっこになっている自分の名前も好きな人から呼ばれると違って響くことってあるのかなあと、そんなことを思ってしまいました。