若竹七海『依頼人は死んだ』文春文庫

この本を読もうと思ったのは、積読の消化のためです。以前、若竹さんの『心の中の冷たい何か』か『水上音楽堂の冒険』を読んだときに、読後の後味の悪さがクセなるような気がして、何冊か買ったものがそのまままるっと本棚に残っていました。

とても面白かったです。人間のドロドロしたことがたくさん書かれているのですが、主人公である探偵葉村晶がとてもかっこよかったです。例えば、表題作「依頼人は死んだ」に次のようなセリフがあります。「あの世に行って領収書もらって帰ってこられたら、そのときまたお話ししましょう。」(p210)このお話しでは、はじめ、ただのイタズラだと思っていたことがある女性の死へと繋がっていくのですが、葉村さんは、自分が最初の段階でもっと気づいていれば、防げたのではないかと思っています。(←どうしたって防ぐことはできなかったと自省していますが、引用した箇所などから、本当は気にしていることが分かってきます。)くだんのセリフは捜査から手をひくように買収される場面で出てくるのですが、死んでしまった依頼人への筋の通し方というか、そういうものがとてもかっこよく見えました。

個人的に印象に残ったのは、「アヴェ・マリア」というお話しです。その中では、奥さんへのクリスマスプレゼントのことをずっと考えている男性が出てくるのですが、その選択肢の中にピアスがありました。最近、知っている人が耳に装飾品を着けていると、誰からもらったのだろうと思うことがあります。とても、不思議です。指輪だと、そういった疑問を抱かないからです。これは自分の中にある、装飾品と距離感の偏見のせいかなと思います。おそらく、指輪には、婚約や結婚といった人生の比較的大きな節目がイメージされてしまうのに対して、他の装飾品だと、そういったイメージを抱かないからだと思います。逆に、一般に流布するコードとは別に当事者同士にだけ通じる意味が込められている場合があって(例えば、ブレーキランプ5回点滅で「アイシテル」の意味だとか←古いでしょうか。)、それを着けるということは、その意味合いも身にまとっていると思ってしまうからかもしれません。ちょっと、そんなことを考えたので印象に残ったのかなと思います。

この本は短編連作ですが、最初のお話で登場して、最後のお話しで前面に出てくる主人公の「敵」がとても怖く見えました。最初は、『妄想代理人』の少年バットのようなものなのかなとも思ったのですが、実体はあるようで怖かったです。

文庫本なので、解説がついているのですが、その解説の通りに感じられたから面白かったのかなと思います。人間の汚い部分にシニカルでありながらも、人に対する優しさを葉村晶は持っているという説明です。例えば、次のような箇所から私はそういった側面を感じてしまいました。「地獄ってこんな風なんだろう、と思った。自分ではどうすることもできないことのために何年も苦しんで、夫の愛人に子どもができてさらに苦しんで、挙句の果てにそれがすべて、実の親にさえ、自分のわがままのせいだと決めつけられてしまう。」(p271)