羽海野チカ『ハチミツとクローバー』9巻 集英社

ハチミツとクローバー』というマンガの9巻目でした。

この巻で印象に残ったのは、「自分にしかできない事がきっとあるって思いたかった」という言葉です。なにか、おっきなことでなくても、例えば、子どもをもうけて、家庭を作ってということは、自分と誰か相手との間でしかできないことのように感じられますが、そういったこともできないと思ってしまったとき(病気などいろいろな原因はあると思います。)自分に「しか」できないことではなくて、他の人でもできること、要するに「あたりまえ」とか「普通」とか形容されることができない自分のことを省みてしまって、どうしようもなくなることってないのだろうかと思ってしまいます。個性の尊重も、ナンバーワンじゃなくてオンリーワンになればいいという歌も「自分にしかできないことがある」と吹聴しているように感じられます。そして、それはとても残酷なことではないかと思います。所詮、それは社会の現実なのだから、世の中の厳しさは早目に教えた方がいいという考えもあるかと思うのですが、それでも、何かの範疇からこぼれ落ちていってしまうことの恐怖というか不安感というか、そういったものをどこかで分かって欲しいと思うことは、きっと甘えだとされてしまうのでしょう。

この巻では、主人公(?)の女の子をある事態が襲います。お話しはその周囲の人たちの目線で進むので、彼女をどう「救う」かがテーマとなっていくのですが、お話しに描かれていない部分で、彼女のことをいい気味だと思っている人たちもどこかに存在しているような気がして、自分もきっとそちら側の人間だろうと思ってしまって、哀しくなりました。何年か前、学校で爆発物を爆発させた高校生の報道を見ました。その時、私が思ったのは、たしかに、被害者となった学生たちは、被害者なのだろうけれど、その中で、その爆発のことを「いいわけ」(例えば、テストの点数が悪かった、その年の受験に失敗した、その後の人生の失敗の原因をそこに求めてしまう)にしている自分を感じてしまって、苦しくなる人はいないのだろうかということでした。本当に、そのことを言い訳にして、逃げているのか、本当に原因なのかはわからないのですが、自分自身が逃げていると感じてしまえば、とても苦しいし、本当に原因だと思えば、誰かをとても恨んでしまうかもしれず、それはそれで苦しいことではないかと思います。

何かの局面で、そこの関わる人たちの心はきっといろいろなのだろうけれど、そのうちのどこを見るかによって、ずいぶん違ってくるのかなと、月並みなことを考えました。

最後に、このマンガのタイトルを見たときから、ずっと言いたかったことがあります。ハチミツと苦労話。