木田元『ハイデガーの思想』岩波新書

大学生の頃、第二外国語としてフランス語を受講していたのですが、和訳の宿題を答えているときにその説明の仕方を聞いて、先生からドイツ観念論なんかしたらウケるのじゃないかと言われたことがあります。で、フランス語の授業なのに、ドイツがいいんじゃないかと言われたので、思わず「場違いということですか?」と聞いてしまいました。先生は苦笑していましたが、そんなきっかけで、ドイツの哲学って人から見たらなんか自分に向いているのかなと思ったりしました。

あと、高校のときの国語の先生が哲学だったらハイデガーウィットゲンシュタインを読んでおけば大丈夫だと自信満々におしゃっていたのでハイデガーってすごいのかなとずっと引っかかっていたのですが、最近、落ち込むことが多いのでなんか存在に関する考えを読んでみたらちょっと変わるかなと思って読んでみることにしました。って言っても、『存在と時間』そのものズバリを読まないところが、自分らしいというか、なんというかという感じなのですが。

存在と時間』がもともと構想されていた著書の一部(上巻だったかな)だという説明を読んで意外な気がしました。ハイデガーの思想にはニーチェとかの影響が大きいようなのですが、フーコーの『言語表現の秩序』に「真理への意志」という言葉が確かでてくるのですが、フーコーニーチェの影響があったようで、哲学上の厳密な議論は私にとってはチンプンカンプンなのですが、いろいろなことをひっくり返そうとして(場合によっては止揚をめざすのかなあ)頑張ってみても、そこにまっているのは、ひっくり返そうとしている当のものが括弧に括られた形で(より不可視的になって)強化されている結果のように感じられて、この本を読んで感じた「永劫回帰」という言葉の意味がそのことにぴったりしているにも感じられて、そういうことなのかなと思いました。

あと、存在が現在、過去、未来、まるで喜劇じゃないの、じゃなくて、時間のつながりを捉えられる人間だからこそ立ち現れてくるって感じの記述があって、時間の流れを知らなければ、通時的共時的意味合いで存在を捉えることって確かに無いのかなあと思いました。

日々の生活を営む上で、だからどうなんだってことかもしれないのですが、なんか袋小路に入り込んだかなと思ったときにこういう本も読んでみると、少し落ち着くことができるなあと思いました。