菊地聡『超常現象の心理学』平凡社新書

何年か前に『社会調査のウソ』という本を読みました。確か、その本の中でこの本のことがすすめられていました。で、読んでみました。

以前、最近の若者は、物事をスキがキライかだけで判断して、その後がないと聞いたことがあります。この本を読み始めて、思ったのは、私はこの著者さんのことがキライだということです。多分、なんか人のことを馬鹿にしているような感じがしたからだと思います。

「『信じる信じないは自由』と言っていた人は、オウム真理教の超能力を信じた人たちを『本人の自由だから』と容認するのだろうか」(p56)著者はこの本の中で、思考停止を批判している(そして科学的思考をすすめています。)のですが、その考えにたてば、信じることとそれによって害が及ぶことを分けて考えなくていいのかなと思ってしまいます。信じていても害を及ぼさない人もいる、といって反論することは、著者の人は情報量がなくて、何も言っていないに等しいと切り返すと思います。結果ではなく、手続きというか、科学的であることが大事だと考えているようです。

なんだけど、オカルトに対しては、手厳しい記述が続くのですが、臨床心理学に話が及ぶと、(著者さんは臨床ではない心理学者さんのようです。)それが科学的ではないとしながらも、理解を示して、クライアントの利益のためなら、それでいいのではないかといっているように感じられました。

なんで、こんなにムカっとするのかワケ分からんのですが、多分、思考停止がよくないといっている人に反論したときに、仮にその反論が的を得ていることがあっても、その人には、「反論自体、自分がいうところの批判的思考を使っている」という逃げ道が予め用意されているような気がして、でも、それって、著者がいう情報量の乏しい意味のない言辞のように感じられて、ズルいと思ってしまうからだと思います。

私がひとつ思うのは、本文中で大槻教授TVタックルで韮澤さん=たま出版の人=金星人の住民票を持っていると言う人とバトルをしている先生です。)のオカルト批判について触れられていて、著者は同じ科学の専門家としてお仲間な感じで記述されているのですが、物理学からみた心理学って科学と認識されているのだろうかと、そんなことです。最後に、この本の「オカルト」と表記されている箇所全てを「心理学」に置き換えても、違和感なく読めてしまうような気がしました。