小沼純一『サウンド・エシックス』平凡社新書

この本を読もうと思ったのは、シェーファーという人の「サウンドスケープ」という考え方に興味があったからです。

この本を読んで印象に残ったのは、小沼さんが「音楽」の受け手のことを「宛先」という言葉で呼んでいる箇所がいくつかあったことです。この本の中では「音楽」というものがどのようにして成立しているかについての考察もあったのですが、作り手というものがあるとして、その人が聞いてくれる人として想定しているものを考えたときに、直接言及はされていなかったのですが、「郵便的不安」のことを念頭においていたのかなと思いました。フランスの思想家について結構言及があったのと、後半部分でデリダについても言及があったのでそう思ってしまいました。

あと、次の部分も印象に残りました。「しばらくたって、流行は去ってしまう。売上はがっくり減り、在庫は処分されます。その「何か」は消費されたわけでしょう。とはいえ、音楽の場合、いやもっと広くとって芸術でもなんでもいいのですが、そうした消費の後にも、何かが残るのです、少なくとも聴き手のなかのわずかな部分であっても。」(p266-7)『R.O.D』という小説の中に菫川ねねねという小説家が登場するのですが、彼女がお前の書いているようなものは既に誰かが書いていると言われたときに、「でも私はまだ書いていない」(という感じの)セリフを発していました。流行のポップスとか聞くと昔聞いたものに似ていると感じることがあるのですが、その昔のものでは感じられなかったことを、似ている今の曲から感じられることもあって、そのことと重ねて読んでしまいました。